紀元前405年の講和条約
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「ヒミルコ2世」の記事における「紀元前405年の講和条約」の解説
この条約はシケリアにおけるカルタゴの優位を求めたものであり、ディオニュシオスはカルタゴの協力者なのではないかと疑われた。条約の内容は以下のとおりであった: カルタゴはシケリアのフェニキア人都市(モティア、パノルムス等)に対する完全な支配権を有する。 エリミ人とシカニ人の都市はカルタゴの「勢力範囲」とする。 ギリシア人は、セリヌス、アクラガス、カマリナ、ゲラに戻ることが許される。新しく建設されたテルマエ(現在のテルミニ・イメレーゼ)を含み、これらの諸都市はカルタゴに税を支払う。ゲラとカマリナの城壁の再建は許されない。 シケル人都市、メッセネ(現在のメッシーナ)およびレオンティノイに対しては、カルタゴおよびシュラクサイ双方から影響を及ぼさない。 ディオニュシオスがシュラクサイの支配者であることをカルタゴは承認する。 両軍ともに捕虜を解放し鹵獲した船舶を返却する。 シュラクサイにおけるディオニュシオスの支配を認める代わり、先任者であるゲロンとヒエロン1世が征服した都市をシュラクサイは放棄することになった。これらの中立都市はシュラクサイと領土を接することと成るが、その独立をカルタゴおよびディオニュシオスの双方が保障した。 ゲラ、カマリナ、カルラガスおよびヒメラはカルタゴに朝貢金を支払うことになり、シカニ人とエリミ人の領域はカルタゴ領となった。この時点でシケリアにおけるカルタゴの支配領域は頂点に達し、次にこれに匹敵するのは紀元前289年(僭主アガトクレス死後の後継者争いを利用してカルタゴが支配領域を広げた)まで待たなければならなかった。ヒミルコはシケリア西部に守備兵を残し、残りの軍を解散した。
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