筆のコレクション
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/08 04:14 UTC 版)
元々、陽山は書の実技のみならず、書学や書道史への興味関心が深く、修行時代から熱心に碑帖などの収集を行っていた。また、この時期の陽山は師の勧める筆が必ずしも自分の手に合うわけではないことに興味を持ち、様々な筆を用いて試行錯誤を繰り返してもいた。学究肌のこの性向は書家への転向によっていよいよその度を増し、相前後して陽山は筆の収集を始めている。そのコレクションが本格化する契機となったのは、師、竟山の昭和9年(1934年)の逝去であった。このときすでに筆に並々ならぬ興味を示していた陽山は、同門の弟子たちの配慮により、形見分けに際して遺筆の大部分を譲り受けたのである。竟山の遺筆は貴重な作品や資料を含む充実したものであり、このことによって陽山のコレクションは質・量ともに飛躍的に充実した。この後も、収集時期が戦中戦後の混乱期と重なったこと、文人墨客が集い、筆墨店や古書肆が多いという京都の地の利などが幸いしてコレクションは増加の一途を辿った。陽山が筆に強い関心を持つことを知る知人の協力により、西園寺公望、富岡鉄斎、竹内栖鳳、橋本関雪ら著名な人々の遺愛の筆も加わっている。最終的にはコレクション総数千本を超え、日本随一の筆に関するコレクションとなった。 なお、陽山のコレクションは長らく行方不明となっていたが、そのほとんどが2007年に広島県安芸郡熊野町の博物館、筆の里工房に収蔵され、現在に至っている。
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