第3次および第4次編制
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「第4装甲擲弾兵旅団 (ドイツ連邦陸軍)」の記事における「第3次および第4次編制」の解説
陸軍第3次編制にて1970年に旅団は第4猟兵旅団に再編成される。これにより、装甲擲弾兵大隊は猟兵大隊に改編・改称された。1972年に第46補給大隊は解隊する。ゲッティンゲンの第45砲兵大隊は分割され、一部は新編された第34装甲旅団に配転され、残余は第45装甲砲兵大隊として再編成された。 陸軍第4次編制にて1980年から再び旅団は第4装甲擲弾兵旅団に改編・改称される。旅団隷下部隊は以下のとおりであった。 第41混成装甲擲弾兵大隊 在ゲッティンゲン 第42装甲擲弾兵大隊 在カッセル 第43装甲擲弾兵大隊 在ゲッティンゲン 第44戦車大隊 在ゲッティンゲン 第45装甲砲兵大隊 在ゲッティンゲン 第23野戦予備大隊 在バート・アロルゼン(部隊業務体系に従属する) 司令部中隊 在ゲッティンゲン 第40整備中隊 在ゲッティンゲン 第40補給中隊 在フルダダール=ロートヴェステン 第40装甲工兵中隊 在カッセル 第40駆逐戦車中隊 在カッセル
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第3次および第4次編制
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 14:13 UTC 版)
「第25空挺旅団 (ドイツ連邦陸軍)」の記事における「第3次および第4次編制」の解説
1971年7月に旅団は第25空挺旅団に改称する。陸軍第2次編制(1959年から1969年)で第256補給大隊が編成され、1971年10月に解隊されカルフにて第250空挺補給中隊に再編成される。更に旅団は1982年4月に平時規定に従い陸軍第4次編制で第250空挺工兵中隊を解隊し、平時では軍団工兵大隊が隷属した。しかし、1982年7月1日に第240軽工兵大隊第3中隊の人員を母体に新第250空挺工兵中隊が再編成されパッサウに駐屯する。しかし、公式部隊編制では平時には第240軽工兵大隊の隷下に残った。1990年3月19日に第250空挺工兵中隊は再び第25旅団隷下におかれる。1993年3月1日には第250空挺工兵中隊はナーゴルトに移駐している。1990年時点(陸軍第4次編制)では旅団隷下部隊は以下のとおりであった。 旅団司令部中隊 在カルフ 第251降下猟兵大隊 在カルフ 第252降下猟兵大隊 在ナーゴルト 第253降下猟兵大隊 在ナーゴルト 第254降下猟兵大隊 在カルフ(機動予備) 第240野戦予備大隊 在カルフ 第250空挺迫撃砲中隊 在ナーゴルト 第250空挺衛生中隊 在カルフ 第250空挺補給中隊 在カルフ 第250空挺工兵中隊 在パッサウ(1993年3月にナーゴルトへ移駐) 1989年8月24日に陸軍総監ヘニンク・フォン・オンドラツァ陸軍中将によって愛称「シュヴァルツヴァルト」を授与される。
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