第12巻 - 不動の動者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/09 00:03 UTC 版)
「形而上学 (アリストテレス)」の記事における「第12巻 - 不動の動者」の解説
第12巻(Λ) - 不動の動者(全10章)第1章 - 我々の研究対象は実体である。実体は他の全てに優先する。実体の三種 --- 「消滅的・感覚的実体」「永遠的・感覚的実体」「永遠的・不動・非感覚的な実体」。 第2章 - 転化にはその原理として「形相」とその「欠除態」の他に「質料」が必要である。 第3章 - 最後の「質料」や「形相」には生成過程は存しない。各々の実体は同じ名前のものから生成する。生成の四種 --- 「技術」「自然」「偶運」「自己偶発」。実体の三義 --- 「質料」「形相」「結合物」。事物の「始動因」はその事物より先に存在しうるがその「形相」は同時的に存在する。人間のような自然的な事物以外はいかなる事物の「形相」もその事物より先には存在しない。 第4章 - 事物の構成要素はその事物が異なるに応じて「数」的(個別的)には異なるが、その「種」においては同じである。それらは全て三種の構成要素「形相」「欠除態」「質料」を持ち、最近及び最遠の外的な始動因(動者)を持つ。 第5章 - 事物の「可能態」と「現実態」も全ての事物に共通の原理であるが、その仕方は場合が異なるに応じて異なる。 第6章 - 「永遠的・不動・非感覚的な実体」について、こうした不動な実体は存在すべき。永遠的な運動のための「永遠的な動者」が存在すべきであり、この動車はその本質に「可能態」を含まない全くの「現実態」であらねばならない。 第7章 - 永遠的な運動を起こす「第一の永遠的な動者」は、全くの「現実態」であるから、自らは全くの「不変不動な実体」であり、あたかも思惟・欲求の対象が思惟者・欲求者を動かすように、自らは動かないで他の全てを動かす。この「第一の不動の動者」に世界の全ては依存する。これは「善」であり、「生命」であり、不断に自らを思惟・観照している「純粋理性」であり、「神」である。その観照の生活は全く「完全」であり「快」である。 第8章 - 諸天体の運行を司る多くの天球の諸運動のためには、「第一の天球」を動かす「第一の不動の動者」(神)の他に、それだけ多くの「不動の動者」が存在すべきである。エウドクソス・カリッポスの諸天球の設定。アリストテレス自らの設定。その数は「55」または「47」であろう。「第一の不動の動者」はただ一つであり、世界も一つである。 第9章 - 「神の理性」についての問題。その思惟対象はそれ自らであらねばならない。「神の思惟」は「思惟の思惟」である。非質料的・非物質的なものにおいては思惟と思惟対象は同じものである。 第10章 - 「善」は世界の諸事物に対して何であるか。それは「全てに内在する秩序の原理」であると共に、「それらを超越する統一的支配の原理」である。自然哲学者たちの諸見解と難点。
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