第二十一潜水隊とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 第二十一潜水隊の意味・解説 

第二十一潜水隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/10/24 08:37 UTC 版)

呂三十三型潜水艦」の記事における「第二十一潜水隊」の解説

舞鶴鎮守府籍の呂33呂34編成F1型からなる先代の第21潜水隊が、所属艦の除籍により昭和7年4月1日解隊されて以来2代目となる。新型中型潜水艦タッグという扱いやすい編成のため、潜水艦現場から離れていた新米司令育成使用され太平洋戦争ではジャワ島攻略備えた哨戒通商破壊従事その後ラバウル拠点ソロモン・ニューギニア方面での哨戒任務従事していたが、昭和17年8月29日呂33戦没したことにより10月5日解隊された。 1937年(昭和12年)5月31日呂33呂34編成。第21潜水隊司令魚住治策中佐佐世保鎮守府部隊1938年(昭和13年)12月15日:第21潜水隊司令佐々木半九中佐1939年(昭和14年)11月15日:(兼)第21潜水隊司令水口兵衛中佐1940年(昭和15年)10月30日呂33予備艦となる。 1940年(昭和15年)11月15日連合艦隊第4潜水戦隊1941年(昭和16年)8月11日:第21潜水隊司令加藤行雄中佐1941年(昭和16年)11月10日:第21潜水隊司令岩上英寿大佐1942年(昭和17年)3月10日第三艦隊第6潜水戦隊1942年(昭和17年)4月10日第四艦隊第7潜水戦隊1942年(昭和17年)7月14日第八艦隊第7潜水戦隊ごと転属1942年(昭和17年)8月29日ポートモレスビー西方沖で呂33戦没10月5日除籍1942年(昭和17年)10月5日解隊呂34第7潜水戦隊直卒となる。 (1943年(昭和18年)4月5日ラッセル諸島付近呂34戦没9月15日除籍。)

※この「第二十一潜水隊」の解説は、「呂三十三型潜水艦」の解説の一部です。
「第二十一潜水隊」を含む「呂三十三型潜水艦」の記事については、「呂三十三型潜水艦」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「第二十一潜水隊」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「第二十一潜水隊」の関連用語

第二十一潜水隊のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



第二十一潜水隊のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの呂三十三型潜水艦 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS