第一話 殺生関白
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/12 13:44 UTC 版)
実子に恵まれぬ秀吉は、その肉親縁者の中から多くの養子を迎えた。姉の子の秀次もその一人であり、秀吉はこの甥を可愛がり、ゆくゆくは己の後継者にしようと目をかける。が、秀次は秀吉に似ずまったくの愚物で諸事物事ができない。また、百姓の分際から成り上がったと嘲られることを嫌ってことあるごとに傲岸に振る舞い、その上家臣を人とも思わぬ酷薄な扱いをたびたびして秀吉の不興をかった。到底天下の仕置をなせる男ではないと秀吉は落胆するが、さりとて他に代わりになる者もいない。ようやく生まれた嫡男・鶴松も夭折し、秀吉は秀次を正式に養嗣子にして関白の位を譲った。しかしそれでも秀次の素行は改まることはなく、逆に人臣最高の地位を得たことでそれまで多少なりとも持っていた自制心が箍が外れたようになくなり、以前は畏れていた秀吉の訓戒もまるで無視するようになった。己の殺人嗜好を満たすために夜ごと夜陰に紛れて辻斬りを愉しみ、市井には怨嗟の声がわき起こって「摂政関白」ならぬ「殺生関白」などという悪名が囁かれるようになった。また唯一秀吉に似た好色さにも歯止めがきかなくなり、秀吉の戒めを破って多くの愛妾を閨に入れ、終いには年端もいかぬ女童にまで手を出しその母ともども戯れるという倒錯に耽るようにもなった。やがて数々の不行状を知った秀吉は常軌を逸した振る舞いに驚愕し、折しも秀頼が生まれてその存在が邪魔になっていたことから、秀次を断罪することを決める。秀次は切腹を言い渡され、その愛妾・子息達もことごとく刑戮された。秀吉の力で水呑み百姓の境遇から引き上げられた秀次の生は、皮肉にも同じ秀吉の手によって幕を引かれることとなった。この男もことごとく他人の手で作られた己の生涯の奇妙さを思ったのか、最期に「自分の腹を切る刀はわしの手中にある」と言い遺して果てた。
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