第一波フェミニズムにおいて
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 16:37 UTC 版)
「ホワイト・フェミニズム」の記事における「第一波フェミニズムにおいて」の解説
第一波フェミニズムは近世にはじまり、20世紀初頭まで続き、主に女性に関する法律問題、特に女性参政権に焦点をあてた。産業革命が終わりに向かう1848年にニューヨーク州セネカ・フォールズで開催されたセネカ・フォールズ会議からこの波は本格的に始まった。この波の目標は、参政権を中心に女性の機会をひらくことにあった。その大多数は、教育を受けた中流階級の白人女性によって組織され、彼女たちに関係する問題に専念する運動であった。 イギリスの第一波フェミニストでサフラジェットのソフィア・ドゥリープ・シング王女のように、一部のエスニック・マイノリティの女性もこの運動に受け入れられた。しかしながら、イギリスの女性参政権運動に黒人女性が参加したという証拠はほとんど見当たらないとされる。1893年、ニュージーランドはすべての人種の女性に投票権を認めた最初の国になったが、これはイギリス社会の女性が投票できないにも関わらず、イギリス植民地のひとつでマオリの女性が投票可能だということに不快感を示したミリセント・フォーセットのようなサフラジェットたちの怒りを買った。スーザン・B・アンソニー(確固たる奴隷制度廃止運動家)やエリザベス・キャディ・スタントンはアメリカ合衆国における白人女性の投票権のために闘ったが、黒人男性が投票権を得ることよりもこのことを優先していた。アンソニーとスタントンは"性別の貴族"をつくりだすことを警戒し、黒人のコミュニティと女性(黒人女性を含む)が同時に参政権を得られる普通選挙を提案した。
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