第一回欧米視察
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 21:19 UTC 版)
1897年4月、恒藤は地質事業視察並びに万国地質会議参加のため欧米出張を命じられた。万国地質会議については恒藤は土壌部門の専門家としての参加であり、日本からは他に地質学者の巨智部忠承が参加した。5月に横浜港を出港し、アメリカを経てヨーロッパへ向かい、ヨーロッパ到着後はベルリンを経て万国地質会議が開催されるモスクワへ向かった。万国地質会議は参加者約800名で、ロシア皇帝ニコライ2世が開催に力を入れており、恒藤はロシア皇帝に拝謁し、皇帝主催の宴席にも参加したと回想している。 万国地質会議終了後、恒藤はウラル山脈、黒土地帯、バクーの油田、そしてコーカサス地方と、ロシア各地を視察した。その後、ベルリンへと戻った恒藤は、ドイツ語教師を雇ってドイツ語を習いつつ化学研究所で化学研究を行った。更にベルギーのブリュッセルでは万国地質会議参加者の家に約3か月間滞在して地質調査の指導を受けた。 ベルギーで地質調査の指導を受けた後、イギリスに渡った恒藤はイングランド、スコットランドを視察した。その後イギリスからアメリカへ向かい、テネシー州とフロリダ州のリン鉱石産地を調査した。そして海外渡航最後には南米へ向かい、ペルーのグアノ産地、チリの硝石産地を視察し、1898年3月に帰国した。
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