第一回汎スラヴ会議(1848年)
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「汎スラヴ主義」の記事における「第一回汎スラヴ会議(1848年)」の解説
詳細は「スラヴ人会議(英語版)」を参照 1848年革命のさなか、6月にプラハで第一回汎スラヴ会議が開催された。この会議は、主としてフランクフルト国民議会への参加を拒否したチェコ人によって構成されており、反オーストリア、反ロシア色の強いものであった。この会議で青・白・赤の三色旗が汎スラヴの色とされたが、影響力を発揮することなく終幕した。なおポーランドは当時ロシア帝国統治下で国民国家を有しておらず、旧ポーランド・リトアニア共和国の多民族主義(多文化主義)を是とする思想もあり、会議には参加しなかった。
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