穏健路線の破綻と失脚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/10 08:46 UTC 版)
「アルフォンセ・マサンバ=デバ」の記事における「穏健路線の破綻と失脚」の解説
マサンバ=デバ政権は穏健な社会主義を掲げ、反フランス・反資本主義路線を採った。共産主義者や左派民兵組織は当初、マサンバ=デバを支える立場にあった。 マサンバ=デバは「革命国民運動(MNR)」を結成し(1964年1月)、一党体制を築いた。しかし、MNRの若年層の一部はキューバ支援により民兵を組織し、過激化した。このことはマサンバ=デバ政権の支持者に亀裂をもたらし、民兵の代表アンブローズ・ヌマザレイ首相(任1966-1968)は大統領との対立を激化させた。マサンバ=デバはヌマザレイを首相から解任し(1968年1月)、左派からの攻撃を受ける一方、軍部のマリアン・ングアビ大尉とも対立を深めて孤立化した。 1968年8月、マサンバ=デバはクーデター容疑でングアビを逮捕するが、逆に兵士の反乱で釈放を強要され、ングアビが実権を掌握した。マサンバ=デバは大統領を辞任した(1968年9月4日)。 ングアビ暗殺事件(1977年3月)の際、マサンバ=デバは暗殺への関与を疑われ、処刑された。 ^ 片山正人「現代アフリカ・クーデター全史」叢文社 2005年、107ページ ISBN 4-7947-0523-9 ^ 片山正人「現代アフリカ・クーデター全史」叢文社 2005年、109ページ ISBN 4-7947-0523-9 ^ 片山正人「現代アフリカ・クーデター全史」叢文社 2005年、110-111ページ ISBN 4-7947-0523-9 ^ 片山正人「現代アフリカ・クーデター全史」叢文社 2005年、206-207ページ ISBN 4-7947-0523-9
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