稽鏡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/31 09:43 UTC 版)
稽 鏡(嵇 鏡)[注 1] | |
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『維新政府之現況』(1939年)
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プロフィール | |
出生: | 1878年[1][注 2] |
死去: | 不詳 (1945年時点で存命) |
出身地: | ![]() |
職業: | 官僚 |
各種表記 | |
繁体字: | 稽鏡 |
簡体字: | 稽镜 |
拼音: | Jī Jìng |
ラテン字: | Chi Ching |
和名表記: | けい きょう |
発音転記: | チー・チン(ジー・ジン) |
稽 鏡または嵇 鏡(けい きょう、1878年 – 没年不明)は、清末・中華民国の外交官・官僚。字は滌生[1][2][3]。
事績
清末から蔣介石国民政府まで
清末に日本へ留学し、1904年(光緒30年/明治37年)に早稲田大学大学部政治経済学科を卒業した[4]。在学中に高田早苗『憲法要義』の中国語版発行に取り組んだ(編訳者は同学の張肇桐)。1907年(光緒33年)以降、稽鏡は外交界に入り[1]、中華民国成立後も引き続き外交官のキャリアを継続している。
1912年(民国元年)から北京政府の外交部で原庁司弁事員、庶務司司長、僉事を歴任する。翌1913年(民国2年)4月4日、駐新義州領事となった。1914年(民国3年)1月24日、外交部駐神戸領事署理となり[注 3]、同年5月4日に正式に任命されている。翌1915年(民国4年)12月25日、外交部中大夫の位を授与された。駐神戸領事には1919年(民国8年)5月10日まで在任している[5]。同年、ロシアへ転じ、在ブラゴヴェシチェンスク領事となった。1920年(民国9年)、外交部勤務に戻り[1]、翌1921年(民国10年)、外交部政務司幇弁兼太平洋会議籌備処籌備員や外交部僉事に任命されている。1922年(民国11年)12月30日、膠済鉄路接収代表任命され、山東問題に取り組んだ。1926年(民国15年)2月、外交部政務司長に任命された[5][6]
国民政府でも稽鏡は引き続き外交部門で任用され、1928年(民国17年)6月19日、外交部第一司司長として起用された[6]。翌1929年(民国18年)1月14日には行政院外交部国際司司長に任命されている。1931年(民国20年)12月21日、司長を辞任し[5][注 4]、後に外交部条約委員会委員となった[3]。
親日政権での活動
梁鴻志による中華民国維新政府創設には、稽鏡も参与した。1938年(民国27年)6月3日、嵇は外交部(部長:陳籙)次長に抜擢され[7]、すでに同部次長に在任していた廉隅との2人体制となった[8][注 5]。
1940年(民国29年)3月30日に維新政府が南京国民政府(汪兆銘政権)に合流すると、同年4月2日に稽鏡は立法院立法委員に任命された。以後、汪兆銘政権が存続していた間は同職に留まっていたと見られる[9]。
汪兆銘政権崩壊後における稽鏡の動向は不詳であるが、1947年(民国36年)9月時点でも国民政府行政院から漢奸として指名手配されている[10]。
注釈
- ^ 中華民国維新政府『政府公報』や『維新政府之現況』では「稽鏡」としている。北京政府『政府公報』及び『国民政府公報』(蔣介石)では「嵇鏡」との表記例が多数だが、どちらも1件ずつ「稽鏡」となっている。この2字は異体字の関係ではないため、どちらかが誤っていると見られる。本記事では暫定的に、維新政府が採用している「稽鏡」をとる。なお「嵆鏡」との表記は、日本の文献以外にほぼ見当たらない。
- ^ 徐主編(2007)、1984頁は「1877年」(光緒3年)生」としている。
- ^ 尾崎監修(1940)、99頁によれば、大阪領事も兼任としている。
- ^ 尾崎監修(1940)、99頁によれば、何らかの「政変」が影響したとしている。
- ^ この両者の間では廉隅の方が格上であり、翌1939年2月19日に陳籙が暗殺されると、実際に廉隅が後任の部長代理となった。
出典
- ^ a b c d e 尾崎監修(1940)、99頁。
- ^ a b 劉ほか編(1995)、1420頁。
- ^ a b 徐主編(2007)、1984頁。
- ^ 早稲田大学校友会編(1934)、264頁。
- ^ a b c 中華民国政府官職資料庫「姓名:嵇鏡」
- ^ a b 中華民国政府官職資料庫「姓名:稽鏡」。
- ^ 維新政府令、民国27年6月3日(『政府公報』第10号、民国27年6月13日、維新政府行政院印鋳局、命令2-3頁)。
- ^ 維新政府概史編纂委員会編(1939)、122頁。
- ^ 劉ほか編(1995)、1039-1041頁。
- ^ 省民一字第二四六八号奉行政院令為通緝漢奸稽鏡等一案転令遵照協緝由(不別行文)(『西康省政府公報』第205期、民国36年10月8日、16頁)。
参考文献
- 満蒙資料協会編『満洲紳士録 第3版』満蒙資料協会、1940年。
- 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1。
- 尾崎秀実監修「アジア人名辞典」『アジア問題講座 12』創元社、1940年。
- 維新政府概史編纂委員会編『中華民国維新政府概史』行政院宣伝局、1939年。
- 『早稲田大学校友会会員名簿 昭和十年用』早稲田大学校友会、1934年。
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