移動通信事業の拡大
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 14:40 UTC 版)
「ハチソン・ワンポア」の記事における「移動通信事業の拡大」の解説
1990年、HWLはケーブル・アンド・ワイヤレスおよび中国国際信託投資公司(CITIC Group)と三社合弁でアジアサット1号を打ち上げた。1991年この衛星が李とHWLの出資・手引きでスターテレビの38カ国をカバーする放送網に使われた。ニューズ・コープが63%を出資した合弁事業であった。同年6月、P&Oが主要港の一つ・フェリクストウ(Port of Felixstowe, F港)の持分をHWLへ売却した。そしてこのころ後述のHPHがメガターミナルオペレーターとなった。1993年にサイモンがHWLを去った。1994年、HWLは東方海外貨櫃航運公司に7500万ドルを払い、F港の25%を取得して完全支配した。1996年に後述のOrange plcを上場させ、英米圏で携帯電話サービスをはじめた(HWLが当時48.2%を支配)。HWLグループのワトソンズも繁栄して、ウクライナやバルト三国までその営業圏を広めた。 香港返還の1997年、HWLがボイスストリーム(VoiceStream Wireless PCS)の前身企業を買収した。1999年HWLはOrange株の45%をデュッセルドルフのマンネスマン(Mannesmann AG)へ146億ドルで売却したが、2000年2月にボーダフォンがマンネスマンを買収し、HWLがボーダフォン株の5%を取得した(この三割がすぐに130億ドル超で売却された)。一方で1999年にボイスストリームがオムニポイントを買収すると、HWLの株価が30%以上も上がった。2001年、ボイスストリームはドイツテレコムに売却されT-Mobile USとなった。1999年11月、HWLはグローバル・クロシング(Global Crossing)と12億ドルの光ファイバー合弁事業を香港でスタートしたが、しかし2002年1月までに相手方が財政破綻してしまい、債務整理で合弁事業の相手方持分をHWLが買い取った。このころHWLは第3世代移動通信システム (3G) を中心として、世界中のモバイル事業ライセンスへ資本参加した(日本・オランダ・イタリア・オーストリア・デンマーク・オーストラリア・ニュージーランド、2003年に投資先がさらに拡大)。 2015年1月、グループ代表の李嘉誠がテレフォニカにO2というプロバイダー事業を買収したいと申し出たが、しかしこのBTグループとセキュリコア(Securicor)の合弁事業がもともと巨大であったことなどが理由となり、2016年に欧州委員会の反トラスト委員会が取引をやめさせた。
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