秋山藩とは? わかりやすく解説

秋山藩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/13 02:41 UTC 版)

隅田川御用帳」の記事における「秋山藩」の解説

水野幸忠みずのゆきただ) 越後国秋山藩5万石の現藩主第16巻第2話時点18歳。前藩主嫡男病死したため、前藩主家老水野義明願いにより、楽翁口利き徳川家ゆかりの家から養子入って家督継いだ水野義明(みずのよしあき藩主一族の長で、家老楽翁に、嫡男亡くした藩主への養子斡旋願った加島屋宗兵衛かじまやそうべえ京橋呉服問屋。秋山藩の御用達商人で、藩主幸忠に懇願されて士分となり、藩政改革協力した。城奥の倹約藩士への借上げ贅沢品統制などの施策の他、それまで放置されたままの土地開墾して田畑とし、小作小百姓安価与え全体として年貢増やそうとした。一時成功したかに見えたが、日光東照宮修繕負担強いられたり、2年連続して冷害続いたりして頓挫ししまっている。それは加島屋責任ではなかったが、藩士中に生まれた不満を鎮めるため、加島屋士分返上した若松屋利左衛門わかまつやりざえもん) 伊勢町米問屋。秋山藩の御用達商人で、加島屋と秋山藩における勢力争い繰り広げており、様々な手を使って加島屋を陥れようとしている。 丹沢与八郎たんざわはちろう若松屋用心棒をしている浪人加島屋宗兵衛闇討ちにして失敗すると、多七らを唆して火付けをさせる。これも失敗して林蔵と伝治が町奉行所捕らえられると、口封じのために毒入り寿司差し入れて殺してしまう。証拠つかんで自首勧めた十四郎と戦いとなって敗れ最後自殺した多七(たしち) 代々小作農だったが、加島屋政策により田畑を得ることができた。しかし、不作2年続いたために借金がかさみ、土地手放して、妻のおみかと共に江戸流れてきた。そして、米沢町長屋住み加島屋融資口利き始めた油売りしながら、金を貯めて失った土地取り戻すことを夢見ていた。一介油売りでは土地手に入れることは無理だ悟って生活が荒れ、おみかと離縁し丹沢唆され加島屋への火付け協力してしまう。町奉行所捕らえられた後、秋山藩に引き渡され国元送られた。 おみか 多七女房江戸流れてきて3年ほどたち、多七人柄がすっかり変わってしまったことと、多七との喧嘩の末におなかの子流産してしまったことで、離婚決意して橘屋にやってきた。多七がすぐに離縁状書いたために離婚問題なく成立し以前下働きをしたことのある領国東の小料理屋住み込みながら働くことになった林蔵りんぞう)、伝治(でんじ) 多七と共に加島屋火付け関わり捕らえられた。獄中にあったとき、丹沢に毒入り寿司差し入れられ、それを食べて死んでしまう。

※この「秋山藩」の解説は、「隅田川御用帳」の解説の一部です。
「秋山藩」を含む「隅田川御用帳」の記事については、「隅田川御用帳」の概要を参照ください。

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