毛利斉元とは? わかりやすく解説

毛利斉元

(福原房昌 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/10 07:52 UTC 版)

 
毛利 斉元
時代 江戸時代後期
生誕 寛政6年3月24日[1]1794年4月23日
死没 天保7年9月8日1836年10月17日[1]
改名 豊之允[1](幼名)→福原房昌[1]→毛利教元→斉元
別名 弾正[1](福原氏時代)、式部(通称[1]
戒名 邦憲院殿故大中大夫大官令羽林次将長防国主慈峰真秀大居士[1]
墓所 山口県萩市椿東の東光寺[1]
官位 従四位下式部大輔[1]宮内大輔[1]侍従[1]大膳大夫[1]左近衛権少将[1]、従四位上[1]
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉
長州藩
氏族 毛利氏安芸福原氏→毛利氏
父母 父:毛利親著[1]、母:以久[1]
養父:福原房純毛利斉熙[1]
兄弟 斉元毛利房良正室
正室:由美子毛利斉熙の娘)[1]
側室:原田氏[2]、田代氏、山崎氏[3]、京[3]
敬親[4]、牧之助[4]、三寿姫[4]、孝子[2]、教徳[2]、嘉姫[2]
養子:斉広
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毛利 斉元(もうり なりもと)は、江戸時代後期の大名毛利氏25代当主。長州藩11代藩主。7代藩主・毛利重就六男である毛利親著の長男で、10代藩主毛利斉熙の養子[1]

経歴

寛政6年(1794年3月24日萩城下八丁邸にて出生する[1]享和3年(1803年)に一門八家福原房純の養嗣子となり、文化5年(1808年9月1日、養父と同じく藩主・毛利斉房偏諱を授かり福原房昌ふくばら ふさまさと名乗った。同年に通称として弾正と名乗った。藩主の兄弟を養子にできるのは一門八家のうちさらに六家のみに限られていたため、この養子縁組には反対もあったが、斉元は藩主の弟でなく弟の息子であったため押し切られた[5]

文政2年(1819年)、従兄で藩主の毛利斉熙の実子・保三郎(後の毛利斉広)が幼いため、つなぎの当主とすべく福原家から藩主家に貰い返されて、通称を式部、名を毛利教元のりもとに改めた。同年9月に斉熙の養嗣子となり[1]、四品に叙任して式部大輔に任じられ、文政3年(1820年)に宮内大輔に転じ、文政4年(1821年)に従四位侍従となる[1]

文政7年(1824年2月27日の斉熙の隠居により跡を継ぐが、文政12年(1829年)に従四位・左近衛少将になる[1]。11代将軍徳川家斉からの偏諱を受け斉元と改名する。

天保6年(1836年12月26日に従四位上に叙任されるが、翌天保7年(1836年)5月14日に養父の斉煕が死去する。同年6月12日には後世に「申歳の大水」として語り継がれる大洪水が起こり、実子の猶之進(教明)らがいた萩城下の南苑邸が大破し、城下の3分の2が浸水、溺死者約200人に上るなどの被害を出す。同年9月8日に斉熙の後を追うように死去した[6]。享年43[1]。跡を継いだ斉広は同年のうちに亡くなり、実子の教明(後の慶親・敬親)がその跡を継ぐことになる。

人物

父が部屋住み身分で、自身も家臣福原家から貰い返されて毛利宗家を継いだ経緯があるためか、万事に控え目な性格で、実権は養父・斉熙が握り、終始中継ぎ藩主のままであった。

狂歌を好んで鹿都部真顔に師事し、柳桜亭花也[1]、柳花亭風姿瑞垣、土筆亭和気有丈などの狂号をもち、戯作者山東京山の次女・京が侍女から側室となり、孝姫、甚之丞(早世)を産んだ。

系譜

  • 父:毛利親著(1766年 - 1800年)
  • 母:以久 - 心月院
  • 養父:福原房純(1772年 - 1836年)、毛利斉熙(1784年 - 1836年)
  • 正室:由美子(1804年 - 1838年) - 蓮容院、毛利斉熙娘
  • 側室:原田氏
  • 側室:山崎氏
    • 長女:三寿姫(1827年 - 1856年) - 益田親興(親施兄)室
  • 側室:京 - 山東京山
    • 次女:孝子(1829年 - 1853年) - 有馬温純婚約者のち伊達宗徳正室
    • 三男:毛利教徳(1830年 - 1843年)
  • 側室:田代氏
    • 三女:嘉姫(1835年 - 1843年)
  • 養子

偏諱を受けた人物

毛利教元時代

  • 毛利(長男、のちの毛利敬親)
  • 毛利徳(息子、教明の弟)

毛利斉元時代

「元」は毛利氏の通字として最もよく用いられている字であり、一部の分家でも代々用いられている。そちらについては特別に斉元から賜ってはいないものとみなし、明らかに賜っている人物のみを掲載する。

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y 時山弥八編 1916, p. 120.
  2. ^ a b c d 時山弥八編 1916, p. 122.
  3. ^ a b 時山弥八編 1916, p. 123.
  4. ^ a b c 時山弥八編 1916, p. 121.
  5. ^ 大森、p.162-164
  6. ^ 時山弥八編 1969, p. 118.

参考文献





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