神話との関連性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/15 21:10 UTC 版)
作中の夜長姫の描かれ方を中心として、本作に神話的な構造を当てはめる解釈もある。美濃部重克は、夜長姫が死んだ江奈古の着物を耳男に着せている点に注目し、折口信夫の論文『水の女』に依拠しつつ、本作の物語の深層に「着せる女」と「着せられる男」の神話的物語が潜んでいるとしている。折口の論文によれば、巫女は原理的に水の力を自分のものとする「水の女」であり、また巫女には神のための着物を作り着せる役割があって、巫女が神に着物を「着せる」行為には異界の力をこの世のものに変換する力がある。美濃部によれば『夜長姫と耳男』はこの神話的物語を倒立させた物語であり、機織りである江奈古と、江奈古の服を耳男に着せる夜長姫とは分身的関係にある。そして「着せられる男」である耳男はこの世のものであるのに対して、「着せる女」である夜長姫たちは「異界」のものとして描かれ、彼女たちは「着せる」ことによって耳男の「闇の世界」への同化を図ろうとする。 『夜長姫と耳男』『桜の森の満開の下』『紫大納言』の3作に同じ構造を見て取る柴田まち子も、夜長姫が「異界」の存在として描かれているとする。柴田によれば、夜長姫は巫女やかぐや姫との共通性を持つことから「聖性」を、またその裏腹としての「鬼性」を備えたものとして描かれており、一方で耳男はこの世の人間として描かれる。その耳男にも実は鬼性が潜んでいるのだが、彼は〈このヒメを殺さなければ、チャチな人間世界はもたない〉と考えて姫を殺すことによって、人間界の秩序の回復を試みる。また高桑法子は、安吾にチベット語の学習歴があることを踏まえながら、姫の残虐さは日本の女神に見られるようなものではなく、その本性はチベットのダーキニー神、インドのカーリー神やチャームンダーのような「破壊の神」であるとしている。
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