神崎遺跡の特徴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/08 04:02 UTC 版)
神崎遺跡は2世紀頃、現在の静岡県西部から愛知県東部付近から移住してきた人々によって作られた遺跡と考えられている。当時、神奈川県内の相模川流域や花水川流域では、神崎遺跡と同じように静岡県や愛知県方面からやってきた人々によって作られた集落があったが、神崎遺跡から検出された土器の実に95パーセント以上が豊川周辺の愛知県ないし天竜川以西の静岡県で発掘される土器と同じ形式であり、これまで確認されている関東地方にある弥生時代の遺跡の中で、これほど高い確率で東海地方系の土器が検出された遺跡は他に例が無い。また住居の形態、土器以外に検出された銅鏃と球形土製品からも、神崎遺跡の住民は東海地方からの移住民であったことを示している。また住居の状況などから神崎遺跡は短期間で放棄されたと見られ、東海地方から移住して集落を形成した当時の状況がそのまま残されたと考えられる。このような点から、神崎遺跡は弥生時代の後期に東海地方から現在の神奈川県などへ人々が移住してきた事実を証明する格好の遺跡である。 神崎遺跡が作られた2世紀は国家成立の前段階であった時期であり、人の地域移住も盛んになりつつあったものと考えられる。このような時代背景を良く示している神崎遺跡は全国的に見ても貴重な遺跡と言える。 また神崎遺跡はこれまで全体の約1-2割程度しか発掘が行われておらず、遺跡直下の目久尻川流域からは神崎遺跡があった当時、稲作が行われていた証拠が見つかっておらず、環濠集落に付随することが多い方形周溝墓も見つかっていない等、まだ明らかとなっていない点も多い。遺跡全体の遺存状況は良好であり、今後の発掘技術や分析技術の進歩を見ながら、改めて調査を行えば新たな貴重な事実が明らかとなる可能性も高い。 国家形成への揺籃期である2世紀、日本国内で地域間の人の移住が行われていた事実を明確に示し、また遺存状況も良好である神崎遺跡は、2002年(平成14年)に出土品が神奈川県指定重要文化財に指定され、2011年(平成23年)2月7日、国の史跡に指定された。
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