社会科学高等研究院 - 世界保健機構 / 国際連合の任務
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 14:29 UTC 版)
「ジェルメーヌ・ティヨン」の記事における「社会科学高等研究院 - 世界保健機構 / 国際連合の任務」の解説
1958年、1947年11月3日付政令により高等研究実習院内に設置された第6部門(1975年の政令により社会科学高等研究院として独立)の研究主任に任命され、以後1980年まで教鞭を執ることになった。『第二次世界大戦評論』に「占領地区における最初のレジスタンス」を発表し(著書『真と義を求めて』所収)、国内外(モロッコ、モーリタニア、サハラ砂漠)の調査や学術会議に参加した。1969年から74年にかけて世界保健機関からの要請を受けて(または社会科学高等研究院の研究員として)エジプトで調査を行い、国立科学研究センター研究員として(または国際連合からの要請を受けて)ニジェール、マリ、オートヴォルタ(現ブルキナファソ)で主にトゥアレグ族の調査を行った。さらに地中海文化に関する研究において、マルタで開催された第1回会議「地中海文化に対するアラブ=ベルベルの影響の研究」(1972年)、第2回国際会議「西地中海文化の研究」(1976年)に参加した。
※この「社会科学高等研究院 - 世界保健機構 / 国際連合の任務」の解説は、「ジェルメーヌ・ティヨン」の解説の一部です。
「社会科学高等研究院 - 世界保健機構 / 国際連合の任務」を含む「ジェルメーヌ・ティヨン」の記事については、「ジェルメーヌ・ティヨン」の概要を参照ください。
- 社会科学高等研究院 - 世界保健機構 / 国際連合の任務のページへのリンク