社会正義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/02 09:37 UTC 版)
第1中間期初頭の混乱は国家との結びつきの強い官吏や神官にも強い衝撃を与えた。彼らは文字を操ることのできる知識階級でもあり、創造神によって定められた宇宙の秩序(マート)の体現者たる王に仕えてマートの維持に貢献するならば、現世における成功が与えられるという理念を古くより持っていた。しかし第1中間期に入り、もはや旧来のような安定した地位の維持や俸給、供物の確保が不可能となり、また彼らが信奉した倫理、道徳的価値観も失われていく中で、彼らの価値観も変容を迫られた。上述の『イプエルの訓戒』においても批判の矛先は従来絶対的存在として扱われていた王やその上にいる神々にさえ向けられることもあった。 一方で、神々に対する崇拝はなお思想の根幹でありつづけ、神は正義の規定者であり続けた。神を正義とする前提のもと、秩序を維持する責任は人間にあるとして、神の定めた正義の下に秩序を確立する最高責任者としての王の役割を強調されるようになっていった。それを反映して従来神の化身であるとされた王のための「教訓」を述べる文学も成立した。第10王朝の王メリカラーに対する『メリカラー王への教訓』がそれである。 更に王はマートを維持する義務を負うが、王によって統治される人々の側にもマートの実現を要求する権利があり、むしろ自ら進んで要求しなければならないという主張も成立した。不当に財産を奪われた農夫が雄弁を振るってそれを取り返す『雄弁な農夫の物語』はまさにこうした考えを全面に出した作品である。
※この「社会正義」の解説は、「エジプト第1中間期」の解説の一部です。
「社会正義」を含む「エジプト第1中間期」の記事については、「エジプト第1中間期」の概要を参照ください。
社会正義と同じ種類の言葉
Weblioに収録されているすべての辞書から社会正義を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。

- 社会正義のページへのリンク