石川知裕政策秘書の法廷での証言
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「民野健治」の記事における「石川知裕政策秘書の法廷での証言」の解説
2011年12月15日の小沢一郎の公判で、この女性秘書が証言した。証言内容は下記のとおり。 2010年1月26日の午前10時に、民野と名乗る人から、私の携帯に電話がありました。午後1時45分に検察庁に来てくれということでした その話を聞き、資料の返却かと思い、検察庁へ赴くと「ホニャララ、ホニャララの被疑者として取り調べる」として黙秘権を説明し、聴取を始めたという。女性秘書は再び容疑を尋ねたが、民野は答えなかった。また、持ち物を検査され、携帯電話も目の前でディスプレーを見せ、消すことを要求され、女性秘書は従ったとのこと。 また、一方的に自分が検事になった理由などを話していたが「だんだんとイライラされて、何で黙っているのかとヒステリックになりました」と証言した。 さらに、民野はにやにやしながら女性秘書の家族の写真を眺め「こんなかわいい子供たちが犯罪者の子供ということになったら、どう思うだろうね」と圧迫した。 また午後9時頃には「机の下に手を置いて、ぎゅっと握っていました。急に机をボンッとたたかれて『話を聞く態度じゃない』と注意されました。さらにその後、背もたれに体を寄せると、またボンッと机をたたかれ、『人の話を聞く姿勢じゃない。背筋を伸ばせと言われました』」と述べた。 午後10時を回り、取り調べが9時間を超えたところで弁護士に電話しようとすると「本当に、本当に、石川の心証が悪くなってもいいんだな。石川がどうなってもいいんだな」と脅した。 電話で弁護士が「先生は大声で抗議していたので聞こえました。『参考人として呼んだのか、被疑者として呼んだのか』と聞かれ、民野は『参考人』と答えていました」とした。 この後無事帰れると思って立ち上がったところ、「ドアの前で通せんぼされ『座れ』と言われました。私を見下ろしてにやにやし、『弁護士に頼ってもムダだということが分かったでしょ』と続けました」と述べた。 午後11時ごろになり、部屋にかかってきた内線電話で民野の態度が急変し、女性は家に帰ることを許され、歩いて議員会館に戻ったという。
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