石仏と鉄仏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 01:13 UTC 版)
石仏は、前代につづいて磨崖仏を中心に軟質の凝灰岩が多用され、技法の面でも、線刻から高浮彫、丸彫など自在に駆使された。大分県臼杵市の国宝臼杵磨崖仏は院政期から鎌倉期にかけての制作で凝灰岩製、栃木県宇都宮市の大谷磨崖仏は大谷石と呼ばれる凝灰岩に彫られた石仏で国の重要文化財に指定されている。また、鎌倉時代以降は硬質の花崗岩も利用されるようになった。 鎌倉時代に特徴的にみられる鉄仏は、修験道関連の社寺のほか、東国ことに現在の愛知県下に秀作が濃密に分布する。近年の鉄仏研究によれば、鎌倉期につくられた日本の鉄仏は中国や朝鮮の鉄仏とのあいだに直接的な関係をもたず、平安時代末期以降に導入された大規模な鋳鉄技術が各地に普及したことによって独自の発展をみたものと考えられ、在地の領主が、鉄の肌合いの感触や素材そのものの堅牢さを好んだところから広がった可能性が指摘されている。
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