真田傍陽線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 01:43 UTC 版)
1927年(昭和2年)11月に、現在の上田駅の高架下、タリーズコーヒーやからあげセンターが出店している付近に駅が設置されていた。 完成時には丸屋根の車庫を備え、2面のうち1面を留置専用、もう1面を乗降車用としたホームを持っていた。さらにホームの先には留置線が配置され、電車区と貨物駅を兼ねた構造だった。信越本線と別所線との連絡は、東京方面が降車後そのまま歩いて連絡、長野・松本・直江津・別所温泉・青木・西丸子方面は連絡橋を渡る仕組みになっていた。 1953年に上田丸子電鉄の本社ビルが完成すると、本社側にもホームが完成し2面2線となり、1955年8月には電鉄上田駅としてリニューアル。別所線・西丸子線の切符も販売し改札も独自のものを使うようになった。また本社前には東急バスの渋谷駅行き特急バスが停車し、結構にぎわっていたという。 駅の廃止後は広い構内に東急インが建設され、線路敷は駅レンタカーの営業所に転用されたが、新幹線の上田駅が建設されて現在の形となった。 現在でも架線柱の跡が残っており、当時を偲ばせる貴重な遺構となっている。
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