真田傍陽線とバス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 14:09 UTC 版)
「上田交通真田傍陽線」の記事における「真田傍陽線とバス」の解説
真田傍陽線は、バスと切っても切り離せない歴史を持つ。前身の上田温泉電軌は、真田傍陽線が建設される以前から経営が不安定で、電車路線だけでは経営が成り立たないと自覚していた。そのため、建設直前に電車とバスの併営を決断、鉄道省(のち運輸通信省→運輸省。現在は国土交通省)に併営を申請し、認可されるとバス路線を充実させていった。真田傍陽線の歴史はバス路線充実の歴史でもあり、全通時には真田駅から直営の菅平ホテル前までの自社路線が設定され、1935年には省営自動車(現在のJRバス)が真田-渋川間のバスを設定した。 一時、戦時中の燃料統制でバス路線を千曲自動車(現・千曲バス)に売却して姿を消すが、1951年に菅平線を千曲自動車から返還されるとバス営業を再開。真田駅から菅平高原・峰の原高原行きの自社バス、長野原駅行きの国鉄バスが発着されるようになり、上田駅からは菅平高原・峰の原高原行きの自社直通バスや草津行きの特急バス(当初は自社・国鉄共同、後に自社のみ)も運行されるようになった。また、傍陽駅からは地蔵峠内の集落松井新田行きや大倉行きのバスが発着していた。 真田傍陽線の廃止後は、真田行き・菅平高原行き・渋沢温泉行き・傍陽→入軽井沢行き・傍陽→横道・大倉行きのバス路線が残っている。菅平線が売却された当時、上田から青木・室賀行きも運行していたが、こちらは売却されたまま現在の千曲バス青木線・室賀線となっている。また、上田丸子電鉄丸子線が廃止された時、自社バスの丸子線が設定されたが、合理化により千曲バスに売却したため姿を消している。ただし、上田丸子電鉄西丸子線は、末期にダイヤの半分を代替するための運行バスとしてスタートしていたため、廃止後も運行され続けている。
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