直後の報道
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1937年11月12日 、26日付『Catholic herald』および、1937年11月23日付『ニューヨーク・タイムズ』に掲載されている記事によれば、9人のオランダ人司教達は、中国の山賊に誘拐され、その後、殺害されて発見されたとされる。 1937年12月3日付『Catholic herald』に掲載された記事によれば、北京の日本軍広報担当者によると、正定で起きたカトリック宣教師9人の誘拐殺害事件は満州軍の犯行ではないとし、日本軍が正定を占領した直後で最も混乱している最中に犯行が行われていることから、一部の中国人が日本兵の死体から制服を剥ぎ取り、日本兵に成りすまして犯罪を犯した可能が大きい。犯人のうち、3人が完全な中国語を話したことを確認し、それが証拠であるとしている。 1938年2月26日付『ルーアン及びル・アーヴル教会報』に掲載された記事によれば、正定のラザロ会施設に、夜陰に乗じて朝鮮人又は満洲人の武装集団が威嚇しながら突然出現し、スフラーヴェン司教及びその配下の宣教師6人、エマニュエル神父、非聖職者1人の両手を縛り、目隠しをして連れ去った。11月12日になって、ラザロ会施設の使用人達は、その町の近くにある木造の高塔の近くで、焼かれた遺体と遺品を発見し、翌日に回収したとある。
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