目黒区の前史と行政区画の移り変わりとは? わかりやすく解説

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目黒区の前史と行政区画の移り変わり

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/02 07:29 UTC 版)

目黒区の町名」の記事における「目黒区の前史と行政区画の移り変わり」の解説

東京都目黒区は、昭和7年1932年10月1日従前荏原郡目黒町碑衾町(ひぶすままち)の区域をもって成立した。「碑衾」は旧村名碑文谷(ひもんや)と衾から1字ずつ取った合成地名である。以下、明治時代初期から目黒区成立までの行政区画変遷について略述する。 現在の目黒区区域は、かつては武蔵国荏原郡属し三田村上目黒村中目黒下目黒碑文谷、衾の6があった。これらの明治2年から4年(1869 - 1871年)までは品川県属していた(三田村のみ東京府所属)。荏原郡区域は、現在の品川区大田区目黒区のほぼ全域世田谷区一部相当する明治4年7月1871年8月)、廃藩置県実施された。同年11月1872年1月)、従来東京府品川県小菅県廃止されて、新し東京府設置され荏原郡区域東京府属することとなった同時に府内は6大区97小区分けられた(いわゆる大区小区制)。明治7年1874年3月区割り見直されあらため11大区103小区設置された。後に目黒区となる区域は、このうちの第7大区1・5・6小区属していた。 その後郡区町村編制法施行に伴い大区小区制廃止され明治11年1878年11月2日東京府下に15区6郡(荏原南豊島、北豊島、東多摩南足立、南葛飾)が置かれた。後に目黒区となる区域は、このうち荏原郡属していた。 明治22年1889年)、市制・町村制施行され東京市15区からなる)が成立府下の6郡は既存町村整理統合され85町村となった85町村のうち荏原郡属していたのは1町(品川町18で、このうち現在の目黒区区域該当するのは目黒村碑衾村である。目黒村明治22年三田村上目黒村中目黒下目黒合併して成立大正11年1922年)に町制施行し目黒町となった碑衾村は同じ明治22年碑文谷と衾合併して成立昭和2年1927年)に町制施行し碑衾町となった昭和7年1932年10月1日東京市周辺の5郡(荏原、北豊島豊多摩南足立、南葛飾)に属す82町村編入しいわゆる大東京市が成立した。なお、従前の6郡のうち、南豊島郡東多摩郡明治29年1896年)に合併して豊多摩郡となっている。編入され82町村20区編成され東京市既存15区合わせ35区から構成されることとなった。この時、目黒町碑衾町区域をもって目黒区新設された。 昭和18年1943年7月1日東京府東京市廃止されて、新たに東京都設置された。この時、目黒区を含む35区は東京都直轄の区となった

※この「目黒区の前史と行政区画の移り変わり」の解説は、「目黒区の町名」の解説の一部です。
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