目黒厚生寮の設立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/15 00:30 UTC 版)
髙橋は敗戦直後から上野の地下道等で野宿する男女の大人と子供の惨状に対処するため救護収容活動(「狩り込み」といった)を行っていたが、そのための収容施設がなく、東京都民政局厚生課に掛け合ったところ旧陸軍第17部隊の宿舎の一部を借用できることになった。かくして1946年1月25日、「東京都委託目黒厚生寮」を設立、1948年10月8日には昭和天皇が寮を訪問してその活動を視察している。なお、髙橋は厚生寮設立間もなく狩り込み活動を率先していたため発疹チフスに感染した。当時40歳以上では助からないと言われたが59歳の彼は幸いにも九死に一生を得ている。この施設は、母子寮や若葉寮を併設していたが、現在は目黒区内にある駒場苑、白寿荘、氷川ホーム3施設を経営する社会福祉法人愛隣会として継続している。髙橋が「愛隣会」の法人化を進めて72歳の引退時は自ら理事であった。
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