百済王族語とは? わかりやすく解説

百済王族語

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/12 05:40 UTC 版)

百済語」の記事における「百済王族語」の解説

百済王族語話者集団はどこから来たのか。漢城百済は、3世紀末から4世紀初頭漢城地域中心に成立しており、その建国神話高句麗扶余出自求めている。扶余建国神話初出『論衡』にあり、高句麗扶余建国神話取り入れたのも、瀬間正行が指摘するように、「扶余支配正当性根拠」を示すためであった可能性があり、百済が更にこれを取り入れた蓋然性極めて高い。 『三国史記』に、朱蒙が卒本扶余至った際に越郡の娘を得て二子もうけたとする記載がある。 或云:「朱蒙到卒本,娶越郡女,生二子。」 — 三国史記、巻二十三 中国語ウィキソースに本記事関連した原文あります三國史記/卷23#温祚王二子」とは、温祚沸流のことであり、井上秀雄は「越郡」について、「中国浙江省紹興地方か」と注記している。すなわち、浙江省紹興の娘が、遼寧省丹東市桓仁県来て朱蒙との間に、百済始祖となる温祚沸流生む拝根興および葛継勇西安出土の在唐百済人墓誌釈文載せる研究であるが、亡命百済貴族のなかに「楚国琅邪」を籍貫とする人物みられるこうした山東半島から江南に及ぶ中国沿海部と百済の関係から考えて、百済王族語は、中国沿海から東渡した集団言語であり、その意味では、山東遼東経て朝鮮半島到達した考えられる濊倭祖語話者集団と同じ行跡辿った集団言語である可能性がある。

※この「百済王族語」の解説は、「百済語」の解説の一部です。
「百済王族語」を含む「百済語」の記事については、「百済語」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「百済王族語」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「百済王族語」の関連用語

1
10% |||||

百済王族語のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



百済王族語のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの百済語 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS