百済王氏等への厚遇とは? わかりやすく解説

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百済王氏等への厚遇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 06:01 UTC 版)

桓武天皇」の記事における「百済王氏等への厚遇」の解説

桓武天皇生母である高野新笠出身は、百済渡来人氏族で史姓の和氏であり、中央政権顕官を出す氏族ではなく、また新笠の母方土師氏有力な氏族ではなかった。光仁天皇皇后井上内親王廃され山部親王桓武天皇)が皇太子となっても、新笠は皇后にはなれず、従三位夫人の位までであった桓武天皇即位間もなく天応元年781年4月に母・新笠を皇太夫人とし、従兄弟にあたる和家麻呂異例出世遂げ祖母方の土師氏も、大枝大江朝臣菅原朝臣などの姓を賜った延暦8年12月28日790年1月)に母・新笠が薨ずる皇太后位を贈り延暦9年790年1月に新笠を葬る前日和氏百済武寧王の子孫であり、百済王族遠祖である都慕王東明王)は河伯の娘が日光により身籠ったものであるとして、これにちなんで新笠に「天高知日之子姫尊」の諡号贈った。さらに、同年2月に「百済王氏は朕の外戚である」と詔を発し百済王氏位階進めた百済王氏外戚称することで、母・新笠の出身氏族名目上高貴なものにし、その結果母の身分上昇させようとした、と考えられる在位中、百済王氏本拠としていた交野にたびたび狩猟のため行幸し、百済王氏重用したまた、後宮百済王氏教法・教仁・貞香を召しいれ、百済王明信尚侍としている。

※この「百済王氏等への厚遇」の解説は、「桓武天皇」の解説の一部です。
「百済王氏等への厚遇」を含む「桓武天皇」の記事については、「桓武天皇」の概要を参照ください。

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