百済系三善氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/06 15:17 UTC 版)
『新撰姓氏録』によれば、元は百済の速古大王の末裔で錦部首、後に錦部連を名乗った。延暦年間の桓武天皇後宮に、錦部姉継・同弟姉という女官がいた。同24年(805年)頃にその一族が三善宿禰を授けられた。醍醐天皇の時代に三善清行が大学頭・文章博士を務めて参議まで至り、延喜3年(903年)頃には姓を宿禰から朝臣に改められた。子として文章博士文江や式部少輔文明、僧侶の浄蔵・日蔵が知られるが、文明の子・道統が文章博士になったのを最後に歴史から姿を消す。
※この「百済系三善氏」の解説は、「三善氏」の解説の一部です。
「百済系三善氏」を含む「三善氏」の記事については、「三善氏」の概要を参照ください。
- 百済系三善氏のページへのリンク