百済留学と帰国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/07 06:07 UTC 版)
敏達天皇はまもなく亡くなり、続いて即位した用明天皇は仏教に心を寄せていた。587年(用明天皇2年)6月21日に、善信尼は「出家の道は戒をもって本とします。百済に向かい、戒法を学び受けたいと願います」と馬子に語った。馬子が百済からの使節に依頼したところ、帰国後に国王に話すと言われた。 7月に物部守屋が滅ぼされると、仏教の興隆が国の政策になった。588年(崇峻天皇元年)に、善信尼らはこの年の百済国使首信に付いて百済に行き、その地で学問を行った。翌589年(崇峻天皇2年)3月に帰国し、桜井寺に住んだ。
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