百済第一信号場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/01 16:09 UTC 版)
「平野駅 (JR西日本)」の記事における「百済第一信号場」の解説
関西本線上の平野駅から加美駅寄りに設けられた、おおさか東線正覚寺信号場(放出駅方面)へ向かう片町線貨物支線(城東貨物南連絡線)との分岐点にある信号施設である。正式には平野駅構内の扱いであり、独立した信号場ではないが、貨物列車の時刻表では百済第一信号場は採時駅として記載されていた。ただし一時期は独立した信号場として扱われ、こちらが「正覚寺信号場」を名乗っていた。 2010年10月29日までは、放出駅からおおさか東線を経由して百済駅(現・百済貨物ターミナル駅、貨物駅)に向かう貨物列車は関西本線(大和路線)に合流して当駅まで約700mを上り線を逆走する形で平野駅の2番のりばに入り、そこから百済駅へ進入していた。貨物線から百済駅方面へは、関西本線への合流部が百済第1場内、平野駅への進入が百済第2場内、平野駅から百済駅への進入が百済第3場内となっていた。 この信号場は1931年に片町線貨物支線として放出駅 - 平野駅間が開業した際に「正覚寺信号場」(初代)として設置されたが、1939年に八尾駅への片町線貨物支線が開業した際に平野駅の構内扱いとなった。1941年に平野駅から再び独立して「正覚寺信号場」(2代目)となったが、1961年に再度平野駅の構内扱いとなった。なお、「正覚寺信号場」の名称はその後、おおさか東線上の久宝寺駅方面と城東貨物南連絡線(平野駅方面)の分岐点に継承されている(正覚寺信号場を参照のこと)。 梅田駅の貨物機能の一部が百済駅に移転に伴う百済駅改修事業の一環として、百済第一信号場 - 当駅間に貨物専用線が新設される工事が行われ、2010年10月30日に貨物専用線の使用を開始し、貨物列車と旅客列車の走行線路が分離された。これにより百済第一信号場は廃止された。
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