白石 宏

芸名 | 白石 宏 |
芸名フリガナ | しらいし ひろし |
性別 | 男性 |
生年月日 | 1956/5/20 |
星座 | おうし座 |
干支 | 申年 |
出身地 | 山口県 |
プロフィール | 1956年5月20日山口県生まれの広島市育ち。S,T,I白石鍼灸治療院代表。日本体育大学在学中からアメリカUCLAほかでトレーナー修行、日本体育大学陸上部内にスチューデント・トレーナー制度を創設する。卒業後は鍼灸師資格を取得し、アメリカのトレーナー科学と鍼灸・マッサージを融合した独自の技術で定評を得る。米NFLスーパー・ボウルに臨むシカゴ・ベアーズの治療にあたり、優勝に貢献したことは現地でも「伝説」になっている。これまでに、有森裕子、カールルイス、清原和博など多様なジャンルでのアスリートの治療を行い、競技生活のサポートをし続けている。また、西洋医学と東洋医学の融合を現場で推進する統合医療に取り組み、「セラピューティック・トレーナー」として、新たな道を拓いている。アーキュパンチャーオブザイヤーUSA'85(1985年度アメリカNo.1針灸師)受賞。 |
代表作品1 | 書籍『招待状のない夢トレーナー白石ひろしの冒険』 |
代表作品2 | 書籍『0.16ミリの奇跡』 |
職種 | 文化人 |
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白石宏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/02 03:05 UTC 版)
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白石 宏(しらいし ひろし、1956年5月20日 - )は、多くのトップアスリートのサポートで知られるアスレティックトレーナーのパイオニア、鍼灸師。山口県生まれ、広島県広島市育ち。元ゴールドウイン・ナイキトレナー。日本体育大学卒業。
経歴
日本体育大学時代は、棒高跳びの選手であった[1]。オリンピックを目指し1974年、日本体育大学に進学。先輩のマッサージをするうち、当時日本に入ってきたばかりのテーピング技術に興味を持ち勉強を始める。在学中何度か渡米しUCLAほか、アメリカのトレーナーの仕事に魅了され競技生活を終え帰国後、大学陸上部内にスチューデント・トレーナー制度を創設し本格的にトレーナー業に取り組む。卒業後はゴールドウイン、その後ナイキジャパンの企業トレーナーとして雇われ、昼間働きながら夜カイロプラクティック、あん摩、マッサージ・鍼灸の学校に通い資格を取得。また病院の解剖実習にも通った。
こうして徐々に知られた存在となり日本陸上競技連盟の公認トレーナーになった[1]。
1985年の東京国際女子マラソンで足首を痛めたカトリン・ドーレや、エドウィン・モーゼス、ウィリー・バンクス、ジョン・マッケンローの治療もしている。1986年1月12日のNFCチャンピオンシップゲームで左腰を負傷し、第20回スーパーボウル出場が危ぶまれたQBジム・マクマーンの治療のため、かつて陸上競技大会で来日し、白石と旧知の仲のWRウィリー・ゴールトの依頼で渡米した。1月20日、ベアーズがスーパーボウルが行われるニューオーリンズに飛ぶ際、マカスキーベアーズ会長やチームトレーナーに同行を拒否されたが、マクマーンが白石の治療を受けさせろと強く主張[2]、1月22日、チームへの合流が認められた[1]。
ロサンゼルスオリンピックで金メダルを4個取ったカール・ルイスを治療したこともある彼の元を、1986年12月、セントラルスポーツの幹部から紹介を受けた競泳の鈴木大地が訪れ、半年以上悩んだ彼の腰痛を治療した[3]。1988年8月30日、ソウルオリンピック前の最終調整で右足付け根に激痛の走った鈴木大地に呼ばれ、ベッド上でバサロの姿勢をさせて針治療を行った[4]。
1993年、ウィンブルドン直前に左ひざ靭帯を損傷し、復帰を目指す伊達公子の治療も行った[5]。
東京都新宿区と自身の故郷である広島市佐伯区である白石鍼灸治療院を開業している。
脚注
参考文献
- 小林信也著、招待状のない夢−トレーナー白石ひろしの冒険 (1989年7月、双葉社、ISBN 4-575-28059-3)
外部リンク
- 白石宏のページへのリンク