発明と事業
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最初の特許を出願した年、ホレリスは教育の場から去り、アメリカ合衆国国勢調査局のために働き始めた。その特許 "Art of Compiling Statistics"(統計集計技法)は1884年9月23日に出願され、1889年1月8日には米国特許第395,782号として成立した。395,781号、395,782号、395,783号という特許の内容は、1889年1月18日のサイエンティフィック・アメリカンで公表された。 彼は国勢調査局との契約に基づいてマシンを製作し、1890年の国勢調査は1880年よりもずっと短い期間(約2年)で完了した。1896年、ホレリスはタビュレーティングマシン社を創業。世界各国の国勢調査局にマシンを貸し出し、パンチカードを販売した。大手保険会社も同様である。システムがうまく動作するよう、彼は世界初の自動カード供給機構、世界初のキーパンチ機(キーボード操作でカードに穴を開ける機械)を開発し、熟練したオペレータなら一時間で200から300枚のカードをパンチすることができるようになった。またタビュレータも発明している。1906年の Type I タビュレータでは配線盤を備え、組み立てなおさなくても別の集計作業ができるようにした(プログラミングに向けた最初の一歩である)。1890年のタビュレータは固定的な結線であり、1890年の国勢調査用カードしか処理できなかったのである。これらの発明は情報処理産業の基盤となった。 1911年、彼の会社を含む4社が合併して コンピューティング・タビュレーティング・レコーディング社(CTR)が結成された。後にトーマス・J・ワトソンを社長に迎えると、1924年にはIBM (International Business Machines Corporation)に社名を変更した。
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