留学と帰国、医学活動
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1915年3月、京城中学校を卒業した後は内地に渡り、第六高等学校大学予科第三部を経て、1919年7月京都帝国大学医学部に進学、病理学を専攻した。1923年6月に同大学医学部を卒業した後大学院に進学すると同時に京都帝国大学医学部病理学教室の副手に採用される。1925年9月、病理学修士、1927年から京都帝国大学医学部病理学教室助手、1928年から同教室で朝鮮人として初の帝国大学助教授となり、1929年1月には同大学院医学博士を取得した。 朝鮮に帰還後の1929年、セブランス連合医学専門学校教授に任命され、1933年から同学教頭。1930年02月、朴啓陽(박계양、初代会長)、李甲洙(이갑수)らと朝鮮医師協会(조선의사협회、後の大韓医師協会、ko:대한의사협회)創立に参与、堂叔の尹致旺らと一緒に朝鮮医師協会で積極的に活動し「朝鮮醫報」の編集長なども務めた。
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