留学エージェントの歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/30 00:40 UTC 版)
「留学エージェント」の記事における「留学エージェントの歴史」の解説
1964年、明治学院大学がミシガン州ホープカレッジでの短期留学を企画し、社団法人日米協会と、アメリカに本部を置く教育団体CIEEの後押しによって実現した。*1965年には、CIEEが大学の企画を手配する形で日本での活動を始めた。**日本ベースの法人としては、ISAとUTSが1970年代のはじめに留学生の募集を開始したが、留学生向けの低価格フライトは手配が難しく、また外貨交換枠にも制限があるなど、さまざまな困難を伴うビジネスだった。1978年から留学のための外貨の持ち出し枠が無制限になったため、現在のように留学エージェントが活動できるようになった。同年、アルク社の「留学事典」の発行が始まっている。さらに1983年には、留学情報誌『留学ジャーナル』が創刊した。
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