留学以前の「厳しい体育」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 02:19 UTC 版)
「二階堂トクヨ」の記事における「留学以前の「厳しい体育」」の解説
留学前のトクヨは井口から学んだスウェーデン体操と勤務校の近くにあった師団・連隊で見た兵式体操を授業で行っていた。トクヨは自身が教えている体操がスウェーデン体操だと思い込んでいたが、実際にはスウェーデン体操のうちの教育体操に相当する領域のみであり、しかも大部分はスウェーデン体操ではなく軍隊式訓練をまねたものであった。また井口から習ったのはスウェーデン体操の型だけであり、その背後にある理論は学んでいなかった。井口の実践するスウェーデン体操が厳しかったこともあり、トクヨも体操とは厳しいものという認識を持っており、授業で教え子が泣くのは当たり前だと考えていた。 油井小訓導時代に行った授業は、自分が嫌っていた「怒鳴られて馬鹿馬鹿しい」体操そのものであった。北国の2月のある寒い日に、川から吹き付ける身を切るような風の中、屋根だけのある雨天体操場で、トクヨは児童をきれいに整列させた。少しでも列を乱そうものなら厳しく叱りつけ、続けて徒手体操をさせた。防寒が不十分な児童が多く、みな震えており、泣き出す者も現れた。トクヨは「そんな弱虫ではいけません」と叱り、泣けば泣くほど児童に厳しく指導した。
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