留学と奉職
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 09:56 UTC 版)
1920年(大正9年)、坂田祐が高谷を訪ねてきて、「横浜でバプテストミッションが開設し、自分が院長を務める関東学院に高等商業部を開設したいので、その開設準備のためアメリカへ留学して欲しい」と依頼した。高谷はこの申し入れを受け入れミシガン大学へ留学した。 2年間の留学を終えて帰国したが、すでに関東学院の高等商業部は始まっており、学部長の席はなかった。高谷は青年へのキリスト教伝道に関心を向け、関東学院三春台の校地に関東学院教会が高谷らによって創立された。高谷は牧師ではなかったが中居京牧師の就任まで牧師の役を務めた。 学内において不遇であったため、高谷は学問研究に専念でき、自らの学問的立場を示す『基督教経済文化史』を著した。この著作を東京高等商業の上田辰之助教授や南原繁が高評した。
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