畑埜佐武郎(専務)の談話
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「エドワーズ (企業)」の記事における「畑埜佐武郎(専務)の談話」の解説
元専務の畑埜佐武郎と小林の出会いは、「私が小林秀夫さんを知るのも『セツ・モードセミナー』と関係がある。セツの先生の一人に小林久三さんがいた。久三さんは絵以外にも多趣味な方で、私とウマが合った。ある時「キミは何やってんの?」というから、「私、服屋の端くれで…」と答えたら、「ほう、そうか。うちの弟も実は服屋なんだ」ってことで紹介されたのが小林秀夫さん。1956年(昭和31年頃)のことですよ。酒の好きな先生でよく四谷あたりで吞みました。そのうち、兄さんより弟さんのほうと親しくなっちゃった。 そんなわけで偶然、小林秀夫さんと知り合って「なにかやろう」という話になって「アトリエ・ホフ」を立ち上げた。格好良く言えばオートクチュールからプレタポルテということかな。 「アトリエ・ホフ」時代は大人向けの服が中心。チェスターフィールドコートとか、ハリスツイードのノーフォークジャケットとか、ずいぶんつくった。それがまたよく売れた。 倉橋さんが小林秀夫を見込んだんでしょうね。ある日、突然、「アトリエ・ホフ」の小林に倉橋さんから椅子が届いた。これがエルメスの鞍を改造した特別製の椅子なんだよ。こりゃ何だ!と驚いているところに、倉橋さんご本人が来る。「倉橋です、私と組みませんか?」と。それで「エドワーズ」がはじまるんだ。その頃倉橋さんは「イケガミ」の東京支店長をやってたんじゃないかな。そして「エドワーズ」が始まってすぐの頃に倉橋さんが「できる男がいる」って連れて来たのが、西村弘治さん。西村さんは大川輝雄さんの従兄だっていうんだから、世の中狭いね。 「エドワーズ」という名前自体がそうなんだけど、当時めざしていたのは英国調です。今なら”ブリティッシュ・トラディッショナル”ってとこかなあ。最初ね、イギリスだから社名を「エドワード」にしようか、という案もあった。でも、それじゃあんまり王様に失礼かな、ということで「エドワーズ」に落ち着いたんだよ。 実は「エドワーズ」のそもそものはじまりもまた、麹町なんです。VANもそもそもは麹町に営業所があったし、「エドワーズ」もまた麹町に関係があったとすると、麹町こそ戦後のメンズ・ファッションの創業地なのかもしれないね。 小林秀夫は閃きの人。ある時、彼が突然「VANと一緒に展示会やろうよ」と言う。エッ、と思ったけど、私、はじめてVANさんに行きましたよ。はじめて謙介先生(石津謙介)にお会いして、おそるおそる「カクカクシカジカで…」と。すると謙介先生は「それは面白いねえ」って言ってくれた。 VANといえば、石津謙介と大川照雄、高木一雄という話が出てくるんですが、「エドワーズ」といえば、小林秀夫と倉橋一郎。
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