畑埜佐武郎の談話とは? わかりやすく解説

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畑埜佐武郎(専務)の談話

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 13:59 UTC 版)

エドワーズ (企業)」の記事における「畑埜佐武郎(専務)の談話」の解説

専務畑埜佐武郎小林出会いは、「私が小林秀夫さんを知るのも『セツ・モードセミナー』と関係がある。セツ先生一人小林久三さんがいた。久三さんは絵以外にも多趣味な方で、私とウマ合った。ある時「キミ何やってんの?」というから、「私、服屋端くれで…」と答えたら、「ほう、そうか。うちの弟も実は服屋なんだ」ってことで紹介されたのが小林秀夫さん。1956年昭和31年頃)のことですよ。酒の好きな先生でよく四谷あたりで吞みましたそのうち兄さんより弟さんのほうと親しくなっちゃったそんなわけで偶然、小林秀夫さんと知り合って「なにかやろう」という話になって「アトリエ・ホフ」を立ち上げた格好良く言えばオートクチュールからプレタポルテということかな。 「アトリエ・ホフ」時代大人向けの服が中心チェスターフィールドコートとか、ハリスツイードノーフォークジャケットとか、ずいぶんつくった。それがまたよく売れた倉橋さんが小林秀夫見込んだでしょうね。ある日、突然、「アトリエ・ホフ」の小林倉橋さんから椅子届いた。これがエルメスの鞍を改造した別製椅子なんだよ。こりゃ何だ!と驚いているところに倉橋さんご本人が来る。「倉橋です、私と組みませんか?」と。それで「エドワーズ」がはじまるんだ。その頃倉橋さんは「イケガミ」の東京支店長をやってたんじゃないかな。そして「エドワーズ」が始まってすぐの頃に倉橋さんが「できる男がいる」って連れて来たのが、西村弘治さん。西村さん大川輝雄さんの従兄だっていうんだから、世の中狭いね。 「エドワーズ」という名前自体そうなんだけど、当時めざしていたのは英国調です。今なら”ブリティッシュ・トラディッショナル”ってとこかなあ。最初ね、イギリスだから社名を「エドワード」にしようか、という案もあった。でも、それじゃあんまり王様に失礼かな、ということで「エドワーズ」に落ち着いたんだよ。 実は「エドワーズ」のそもそものはじまりまた、麹町なんですVANもそもそもは麹町営業所があったし、「エドワーズ」もまた麹町に関係があったとすると、麹町こそ戦後のメンズ・ファッションの創業地なのかもしれないね。 小林秀夫閃きの人。ある時、彼が突然「VAN一緒に展示会やろうよ」と言うエッ、と思ったけど、私、はじめてVANさんに行きましたよ。はじめて謙介先生石津謙介)にお会いして、おそるおそるカクカクシカジカで…」と。すると謙介先生は「それは面白いねえ」って言ってくれた。 VANといえば石津謙介大川照雄高木一雄という話が出てくるんですが、「エドワーズといえば小林秀夫倉橋一郎

※この「畑埜佐武郎(専務)の談話」の解説は、「エドワーズ (企業)」の解説の一部です。
「畑埜佐武郎(専務)の談話」を含む「エドワーズ (企業)」の記事については、「エドワーズ (企業)」の概要を参照ください。

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