甲賀三郎と江戸川乱歩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/09/24 14:57 UTC 版)
甲賀と江戸川乱歩は上述のように、わずか4ヶ月の差での文壇デビューだった。平林初之輔は甲賀を「本格派」、乱歩を「変格派」と呼び、乱歩の最初のライバルは甲賀だった。乱歩は本来「本格派」志向であったが、大衆の要求には勝てず、不本意ながら「変格派」代表のような立場となっていった。 甲賀は「トリックよりもプロットが先で、新しいトリックには限界がある」として、筋立てを重視し、上述にあるように、評論において「変格探偵小説」に対しては激しい論戦を挑んだ。横溝正史は「本格一本槍だった三郎は、またなみなみならぬ論客で、木々高太郎相手の論戦は、当時の探偵文壇を沸かせたものである」と述懐している。 その乱歩は「甲賀君は八方当たりの毒舌家となり、私なども、随分やっつけられたものであるが、私はなぜか反感は少しも持たなかった。彼はいくら毒舌を吐いても芯は極めて善良なお坊ちゃんであった」と語っている。 乱歩は戦後になって、自作品『陰獣』(昭和3年)についての解説で、作中自らをモデルにした猟奇小説家「大江春泥」と対照的な存在である主人公の探偵小説家「寒川」は、甲賀三郎がモデルだったと述懐している。『陰獣』の冒頭で、「探偵小説家には二種類ある」として、「探偵型というか、ごく健全で、理智的な探偵の経路にのみ興味を持ち、犯罪者の心理などにはいっこう頓着しない作家である」と解説しているのは、甲賀の作風のことだった。
※この「甲賀三郎と江戸川乱歩」の解説は、「甲賀三郎」の解説の一部です。
「甲賀三郎と江戸川乱歩」を含む「甲賀三郎」の記事については、「甲賀三郎」の概要を参照ください。
甲賀三郎と江戸川乱歩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/19 06:28 UTC 版)
「甲賀三郎 (作家)」の記事における「甲賀三郎と江戸川乱歩」の解説
甲賀と江戸川乱歩は上述のように、わずか4ヶ月の差での文壇デビューだった。平林初之輔は甲賀を「本格派」、乱歩を「変格派」と呼び、乱歩の最初のライバルは甲賀だった。乱歩は本来「本格派」志向であったが、大衆の要求には勝てず、不本意ながら「変格派」代表のような立場となっていった。 甲賀は「トリックよりもプロットが先で、新しいトリックには限界がある」として、筋立てを重視し、上述にあるように、評論において「変格探偵小説」に対しては激しい論戦を挑んだ。横溝正史は「本格一本槍だった三郎は、またなみなみならぬ論客で、木々高太郎相手の論戦は、当時の探偵文壇を沸かせたものである」と述懐している。 その乱歩は「甲賀君は八方当たりの毒舌家となり、私なども、随分やっつけられたものであるが、私はなぜか反感は少しも持たなかった。彼はいくら毒舌を吐いても芯は極めて善良なお坊ちゃんであった」と語っている。 乱歩は戦後になって、自作品『陰獣』(昭和3年)についての解説で、作中自らをモデルにした猟奇小説家「大江春泥」と対照的な存在である主人公の探偵小説家「寒川」は、甲賀三郎がモデルだったと述懐している。『陰獣』の冒頭で、「探偵小説家には二種類ある」として、「探偵型というか、ごく健全で、理智的な探偵の経路にのみ興味を持ち、犯罪者の心理などにはいっこう頓着しない作家である」と解説しているのは、甲賀の作風のことだった。
※この「甲賀三郎と江戸川乱歩」の解説は、「甲賀三郎 (作家)」の解説の一部です。
「甲賀三郎と江戸川乱歩」を含む「甲賀三郎 (作家)」の記事については、「甲賀三郎 (作家)」の概要を参照ください。
- 甲賀三郎と江戸川乱歩のページへのリンク