甲斐武田氏と山内上杉氏長尾氏とは? わかりやすく解説

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甲斐武田氏と山内上杉氏・長尾氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 04:25 UTC 版)

甲越同盟」の記事における「甲斐武田氏と山内上杉氏・長尾氏」の解説

戦国時代甲斐守護武田信虎時代国内統一達成される信虎扇谷上杉氏山内上杉氏の両上杉氏同盟を結び、両上杉氏敵対している伊勢氏後北条氏)や駿河国今川氏抗争した。大永4年1507年)に信虎山内上杉氏とともに関東遠征を行うが、信虎帰国する大永5年には北条氏綱一時的に和睦する大永5年1508年)に北条氏綱山内上杉氏攻撃とため越後国長尾為景同調し信虎に対して使者領内通過申し出ている。同年3月10日長尾為景は氏綱に対す贈答使者甲斐通過信虎求めるが、信虎は「長尾氏には遺恨がある」としてこれを拒絶している。これにより武田氏後北条氏和睦破綻する。ただし、この時点では武田氏長尾氏には接触見られないため、信虎同盟相手である山内上杉氏配慮示したものと考えられている。北信地域における信玄謙信対決永禄4年1561年)の第四次川中島の戦い契機収束し信玄対外方針転換させると、永禄12年1569年)には三国同盟解消して今川氏領国駿河への侵攻駿河侵攻)を開始する信玄駿河侵攻後北条氏との甲相同盟解消招き駿河においては後北条氏三河徳川家康との挟撃受けていた。

※この「甲斐武田氏と山内上杉氏・長尾氏」の解説は、「甲越同盟」の解説の一部です。
「甲斐武田氏と山内上杉氏・長尾氏」を含む「甲越同盟」の記事については、「甲越同盟」の概要を参照ください。

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