甲府市戦災復興都市計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/13 03:12 UTC 版)
戦後、山梨県と甲府市は戦災復興都市計画を策定した。甲府駅から南に広路(ひろじ)1号線(幅員50m)を建設し、主要な幹線道路(現在の美術館通りなど)は幅員36mとする壮大な復興計画であったが、地主たちの反発(復興都市計画に反対する同盟の結成など)に遭い、実現できたのは面積を4分の1に縮小された駅前広場と幅員を36mに縮小された広路1号線だけであった。この道路が現在の平和通りである。 ちなみに、当初の計画では以下のような道路計画が立案されていた(出典:建設省『戦災復興誌 第一巻計画事業編』 p.168)。 幅員50m以上60m未満:1路線 幅員35m以上50m未満:2路線 幅員30m以上35m未満:2路線 幅員22m以上26m未満:7路線 幅員18m以上22m未満:11路線 幅員15m以上18m未満:4路線 計画地区内における道路面積率:27.4% 当時としては行き過ぎた拡幅計画であったが、その後山梨県ではモータリゼーション社会の進展により平和通りを始めとする各通りで渋滞が蔓延している。このため戦後市街地を避ける形で甲府バイパスなどが整備され、中心部はドーナツ化現象が進展することになった。現在対策として中心部に通じる道路も片側2車線化の拡幅工事が行われているが買収などで手間取っており、これらの復興都市計画がそのまま適用されていた場合渋滞やドーナツ化現象は緩和されていた可能性がある。
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