田中銀行時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 16:29 UTC 版)
郵便電信局としての業務を終えた建物は、1920年(大正9年)に創業した田中銀行(山梨田中銀行とも呼ばれる。)の社屋となる。1階部分に当初4つあった部屋は壁が取り払われ、カウンター等が設けられた。また、社屋の裏手には銀行取引の重要書類等の保管施設として、土蔵(レンガ倉庫)、および繭蔵1棟、米蔵2棟が整備された。戦前までの勝沼の主力産業は養蚕であり、田中銀行は繭を担保に農家への融資を行い、繭の出荷所の機能も担っていたという。 今日博物館として公開されている内装や間取りはこの時の改修によるものがベースになっており、手すり付きの螺旋階段や陶器でできた便器などが残されている。扉の随所に見られる、薄いペンキの上に濃い色を重ねて造られた「ペンキ木目」と呼ばれる模造木目は、山梨県内にはほとんど残っておらず貴重な資料となっている。また、ソファーやタイプライター、頭取が使用した事務机など、当時使用されていた備品も数多く残されている。 公道からの入り口(2018年10月10日撮影) 営業室内部(2018年10月10日撮影) 同左(2018年10月10日撮影) 頭取の事務机 螺旋階段 陶器製の便器 ペンキ木目 土蔵(2018年10月10日撮影) 社名の残る土蔵(レンガ倉庫)の扉 公道境沿いの柵に田中の文字(2018年10月10日撮影)
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