田中耕太郎_(海軍軍人)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 田中耕太郎_(海軍軍人)の意味・解説 

田中耕太郎 (海軍軍人)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/24 07:44 UTC 版)

田中耕太郎

田中 耕太郎(たなか こうたろう、1868年4月18日慶応4年3月26日[1]) - 1939年昭和14年)11月9日[2])は、日本海軍軍人、最終階級は海軍中将

人物

丹波国多紀郡篠山(現在の兵庫県丹波篠山市)出身[3]1890年明治23年)、海軍兵学校を卒業。日清戦争では『扶桑』に乗り組み従軍した[3]1900年(明治33年)にロシアに留学を命じられ、その後軍令部に勤務した[2]1909年(明治42年)に在ロシア大使館附武官に就任[2]1914年大正3年)からは馬公要港部参謀長、海軍大学校教官、軍令部第三班課長を歴任した[2]1919年(大正8年)より浦塩派遣軍附となった[2]

海軍随一のロシア通であったが、帝政ロシアの没落とともに1923年(大正12年)に予備役に編入された[3]。その後、1928年(昭和3年)に後備役となり、1933年(昭和8年)に退役となった[2]

家族

長男・一穂の岳父に置塩章

栄典

位階
勲章等

脚注

  1. ^ 日本海軍将官辞典 2000.
  2. ^ a b c d e f 田中耕太郎中将遺稿「コルチャーク」高等統治官時代ノ西伯利亜政府 自昭和十五年三月」 アジア歴史資料センター Ref.B12080958900 
  3. ^ a b c 多紀、氷上人名鑑 pp.91-92 1933.
  4. ^ 官報』第3783号「叙任及辞令」1896年2月12日。
  5. ^ 『官報』第4402号「叙任及辞令」1898年3月9日。
  6. ^ 『官報』第5337号「叙任及辞令」1901年4月22日。
  7. ^ 『官報』第2509号「叙任及辞令」1920年12月11日。
  8. ^ 『官報』第3223号「叙任及辞令」1923年5月1日。
  9. ^ 『官報』第3889号・付録「辞令」1896年6月17日。p4
  10. ^ 『官報』第5820号・付録「辞令」1902年11月26日。
  11. ^ 『官報』7005号・付録「叙任及辞令」1906年11月2日。p2上段
  12. ^ 『官報』第1189号・付録「叙任及辞令」1916年7月18日。

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「田中耕太郎_(海軍軍人)」の関連用語

田中耕太郎_(海軍軍人)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



田中耕太郎_(海軍軍人)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの田中耕太郎 (海軍軍人) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS