産業化と移民
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 06:37 UTC 版)
「アメリカ合衆国中西部」の記事における「産業化と移民」の解説
南北戦争の頃までに、ヨーロッパからの移民は東海岸を通過して直接内陸に入るようになった。ドイツからの移民であるルター派に改宗したアシュケナジム・ユダヤ人はオハイオ州、ウィスコンシン州、イリノイ州および東部ミズーリ州に、スウェーデン人とノルウェー人はウィスコンシン州、ミネソタ州および北部アイオワ州に、ポーランド、チェコ、スロバキア、ハンガリーおよびドイツのカトリック改宗アシュケナジム・ユダヤ人は中西部の都市に定着した。多くのゲルマン系ドイツ人カトリック教徒もウィスコンシン州やオハイオ川流域や五大湖周辺に入った。 中西部は南北戦争の頃まで圧倒的に田園地帯であり、オハイオ州、インディアナ州およびイリノイ州には小さな農場が点在していた。しかし、産業化、移民および都市化の波が産業革命となり、産業発展の中心は中西部の五大湖周辺になっていった。ドイツ人、北欧人、西スラヴ人およびアフリカ系アメリカ人が中西部に入り続け、19世紀および20世紀の人口爆発を生んだ。中西部は一般にはプロテスタントの各宗派の教徒が多い地域であった。1915年以前にはドイツ人、アイルランド人、イタリア人およびスラヴ系ポーランド人、ドイツ化したソルブ人などが、1950年代以降はメキシコ系アメリカ人が大都市圏に集中するようになり、カトリック教徒が多く見られるようになった。スイスから移住したドイツ系のアーミッシュの農業集落は北部オハイオ州、北部インディアナ州および中部イリノイ州に作られた。 20世紀、南部からアフリカ系アメリカ人およびメキシコ系アメリカ人やプエルト・リコ人などが中西部に移住するようになり、シカゴ、セントルイス、ゲーリー、デトロイトなどの大都市を劇的に変化させた。工場や学校など新しい可能性を求めて多くの家族を引きつけたからであった。
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