生産機と現存機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/26 05:45 UTC 版)
生産された7機のうち、4機を三菱航空機が、3機を日本飛行機が製造した。試験飛行に供された三菱第201号機は上記の通り大破、三菱第302号機は終戦直後に焼却処分された。日本軍機の技術調査をすべく生産機のうち3機がアメリカ軍によって接収された。 日飛第81号機は「A24」の番号をつけられ、護衛空母「バーンズ」によって本国に輸送、イリノイ州のグレンビュー海軍基地(英語版)に送られたが、調査の後スクラップにされている。 三菱第403号機は「A25」の番号をつけられ、調査を受けた。その後廃棄処分にされる直前のところをプレーンズ・オブ・フェイム航空博物館の創設者、エドワード・T・マロニーによって買い取られ、秋草等の部品を流用して修復を受け、現在はカリフォルニア州チノの同館にて展示されている。ほぼ完全な状態で現存しているのはこの1機のみである。 三菱第504号機は「A26」の番号をつけられ、上記2機と共に送られたと思われるが、アメリカ本国に到着した形跡はなく、行方不明である。一説には輸送途中で「バーンズ」が嵐に遭ったため、他の鹵獲機と共に海中投棄したとも言われる。 1961年(昭和36年)6月、神奈川県横浜市金沢区の日本飛行機杉田工場の拡張工事の際、地中より胴体の一部が発掘された。1963年(昭和38年)2月より航空自衛隊岐阜基地にて保管されていたが、1997年(平成9年)11月に三菱重工業へと譲渡され、残された1,611枚の設計図に基づき、2001年(平成13年)12月に機体が復元された。愛知県豊山町の名古屋航空宇宙システム製作所史料室に展示されたのち、同館の閉鎖に伴い、2020年2月より名古屋市港区の三菱重工大江工場内にある「大江時計台航空史料室」に展示されている。
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