生玉・亀屋とは? わかりやすく解説

生玉・亀屋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 04:00 UTC 版)

恋飛脚大和往来」の記事における「生玉・亀屋」の解説

生玉」と「亀屋」の場は、現行の舞台ではいずれ廃滅上演されないが一通り解説しておく。 現在「生玉」の場に当たる台本伝わっておらず、「亀屋」の場の台本については国立国会図書館デジタルコレクション公開されており、それによれば原作とした『けいせい恋飛脚上の巻の「飛脚屋の段」とは内容書替えられている。 原作けいせい恋飛脚』で出てきた梅川の兄梅川忠兵衛出ずその代わり役として新口村の忠三郎医者の道哲とともに亀屋訪れる。道哲もじつは梅川の父ではなく、かつてその父に仕えた家来筋の者ということになっている。さらに梅川の父が武士だったのも、もとは京都珠数屋町に住む裕福な町人だったらしい人物身分変更されている。それが零落して大和国新口村へと移り、そこで手習い師匠をしていたが、その教え子ひとりが養子へ行く前の忠兵衛で、その遺言として大坂新町に身を売った一人娘お梅、すなわち梅川のことを忠兵衛託す。そして大坂へ来た忠兵衛は、梅川探すために新町遊郭出入りし梅川見つけたのちは互いに深い馴染みとなった…という話になっているのである忠兵衛梅川身請けにこだわるのも、梅川父親から梅川のことを頼まれたという義理もあってのことだとする。 利兵衛(利平)についても敵役であることは変わらないが、これにチャリがかった性格原作よりもふくらませている。八右衛門企んで忠兵衛に毒を飲まそうとするが、自身が毒を飲んでしまい暑さにのぼせあがり、さらに浴衣姿の忠三郎見て幽霊思い込みおびえる滑稽さなど、役者にとってはしどころが多いように書替えられている。 このように亀屋」は原作けいせい恋飛脚』の筋を変えているので、当然「生玉」の場においても、原作とは内容が違うことになる。つまり生玉神社で毒を飲んで死んだ見せかけたのは、梅川の兄忠兵衛ではなく新口村の忠三郎であり、医者道哲の正体も違う。ただしそのほかは、のちにおすわが金を持ち出そうとしたときの台詞に、「願立て日親様へ参詣戻りかけとて、思わずきのふ生玉水茶屋立聞きすれば、忠兵衛様と梅川殿の事…」とあり、おおむね原作沿った筋だったと見られる。 なお亀屋の養母名について原作では「妙閑」としており、『恋飛脚大和往来』においても通常は「妙閑」であるが、国立国会図書館デジタルコレクション公開台本では役名が「おさの」となっている。寛政8年1796年正月大坂角の芝居で『恋飛脚大和往来』が上演されたとき、澤村国太郎演じ養母の名が「かめやおさの」となっており、この台本内容或いはこの時ののである可能性があるが、確かなことは不明である。また利兵衛が神酒徳利に毒を仕込んだとき、「四条芝居吾妻がした小栗判官狂言から思ひ付いたこの趣向」というせりふがあるが、これもいつのことか明らかではない。

※この「生玉・亀屋」の解説は、「恋飛脚大和往来」の解説の一部です。
「生玉・亀屋」を含む「恋飛脚大和往来」の記事については、「恋飛脚大和往来」の概要を参照ください。

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