瓦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 11:29 UTC 版)
『日本書紀』や『元興寺資材帳』からは、崇峻天皇元年(588年)、百済から四種の技術分野の八名の技術者が渡来したことが知られる。彼らが渡来してから建築用材調達が行われる同三年(591年)までに造営技術者や工人の養育養成が行われ、造瓦分野においては須恵器の青海波紋作りに用いる当て道具の使用痕跡が認められることから、須恵器作りの工人が動員されていると考えられている。 これらの瓦博士、またはその指導を受けた工人の製作したものと思われる7世紀前半期の瓦が飛鳥寺の寺域から出土しているが、これらは瓦当(軒丸瓦の先端の円形部分)の素弁蓮華文の文様から2系統に分類され、それぞれ「花組」「星組」と通称されている。このうち「花組」は各弁の先端部分に小さな切り込みを入れて立体感を出している。一方、「星組」は各弁の先端部分に1個の珠点を表す。「花組」と「星組」の瓦は瓦当裏面の仕上げや、瓦当と丸瓦の接合方法にも差がみられる。「星組」が玉縁式(有段式)の丸瓦を用い、瓦当裏面は「なで調整」を行うのに対し、「花組」は丸瓦に行基瓦(無段式)を用い、瓦当裏面の仕上げにあまり意を用いていない。以上のことは、飛鳥寺創建期の瓦を製作した工人集団には2つの系統があったことを意味している。 創建期軒丸瓦(花組)奈良文化財研究所藤原宮跡資料館展示。 創建期軒丸瓦(星組)奈良文化財研究所藤原宮跡資料館展示。 元興寺(奈良市)本堂・禅室屋根屋根瓦の一部には飛鳥寺創建期の瓦が使用される。
※この「瓦」の解説は、「飛鳥寺」の解説の一部です。
「瓦」を含む「飛鳥寺」の記事については、「飛鳥寺」の概要を参照ください。
瓦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/08 09:22 UTC 版)
※この「瓦」の解説は、「白河小峰城」の解説の一部です。
「瓦」を含む「白河小峰城」の記事については、「白河小峰城」の概要を参照ください。
瓦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 21:25 UTC 版)
竹田城には多くの瓦が出土している。但馬国では瓦が出土する城郭は少なく、八木城、豊岡城では出土されておらず、有子山城では少量出土している。竹田城は但馬国では群を抜いた瓦の出土量で、軒丸瓦・軒平瓦・菊文差瓦・鳥衾瓦・鯱瓦・鬼瓦等の多様な瓦が収集されている。その中にあって2つ重要な瓦がある。一つは、丸瓦の高麗瓦が1点確認されている。高麗瓦は文禄・慶長の役で朝鮮半島侵略後、日本に導入される特殊な瓦になる。もう一つは、竹田城で出土した軒平瓦と、同文瓦が姫路城の三の丸でも出土している。これにより竹田城の瓦は、姫路系瓦工集団が作ったという指摘があり、当時の姫路城主の援助によって築かれたと思われる。
※この「瓦」の解説は、「竹田城」の解説の一部です。
「瓦」を含む「竹田城」の記事については、「竹田城」の概要を参照ください。
瓦と同じ種類の言葉
Weblioに収録されているすべての辞書から瓦を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。

- >> 「瓦」を含む用語の索引
- 瓦のページへのリンク