環の編纂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 06:08 UTC 版)
いつどうして8つの叙事詩が1つに編纂され、「環(サイクル)」と呼ばれるようになったかについても諸説ある。19世紀後半、David Binning Monroは「キュコリコス(κυκλικός)」という語は「環」ではなく、「型にはまった」の意味であり、編纂されたのはヘレニズム期の遅くとも紀元前1世紀頃だと主張した。最近の研究家はもう少し前ではないかと考えているが、概ねこの説を受け入れている。 ホメーロスと他の作品の関係についても問題がある。ホメーロス以外の6つの叙事詩は、ホメーロスの話の前後と隙間を重複なく埋めるよう作られたように見える。しかし、元々はそうでなかったことは確かである。例えば、現存する『小イーリアス』の断片では、トロイア陥落後、ネオプトレモスがどうやってアンドロマケーを捕虜として連れ去ったかが語られているのだが、プロクロスのあらすじではトロイア陥落の前で終わっている。元々の『キュプリア』はプロクロスのあらすじから推測される以上に、トロイア戦争を描いていたという説もある。一方で、『キュプリア』は『イーリアス』を受けた形で構想され、プロクロスのあらすじは元々の構想を反映しているという説もある。 いずれにせよ、編纂するにあたって、叙事詩間で調整が行われたことは確かである。『イーリアス』の最後の行は、次のように、ヘクトールの葬儀で終わっている。 ὣς οἵ γ᾽ ἀμφίεπον τάφον Ἕκτορος ἱπποδάμοιο. そして、『アイティオピス』の冒頭は、続けて読めるように、同じ書き出しで始まっている。 ὣς οἵ γ' ἀμφίεπον τάφον Ἕκτορος · ἦλθε δ' Ἀμαζών, (大意:ヘクトールの葬儀が営まれ、それからアマゾーンが到着した) 反対に、叙事詩の間には矛盾もある。たとえば、トロイア陥落の時、ヘクトールの子アステュアナクスを殺したギリシア兵は『小イーリアス』ではネオプトレモスだが、『イーリオスの攻略』ではオデュッセウスになっている。
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