珊瑚海の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/20 16:44 UTC 版)
1942年4月下旬、日本軍はオーストラリア攻略を支援するために機動部隊を結成した。これは、ツラギとポートモレスビーへの上陸部隊を護衛する守備隊と、珊瑚海の連合艦隊を排除するための攻撃隊で構成されていた。翔鶴と瑞鶴は高木武雄提督の指揮下にて攻撃隊に所属した。 一方、アメリカ海軍はレキシントンとヨークタウンを中心とした機動部隊が編成された。シムスはネオショーの護衛を命じられた。機動部隊は5月5日~6日に補給、その後シムスとネオショーは次の補給地点へ向かう。 5月7日の朝、日本軍攻撃部隊の捜索機がネオショーとシムスを視認したが、それらを空母と巡洋艦として高木提督に報告した。高木は報告を受け、全面攻撃を命じた。09時30分、15機の日本軍爆撃機が2隻を攻撃したが、損傷はなかった。10時38分、10機が駆逐艦を攻撃したが、巧みな操舵により投下された9発の爆弾を回避した。3回目の攻撃は36機による急降下爆撃が行われ、2隻の船に壊滅的な損傷を与えた。ネオショーは7発の直撃と、さらに被弾した九九式艦上爆撃1機の体当たり受け、航行不能となった。 シムスはあらゆる方向から攻撃され、250キログラム(550ポンド)の爆弾3発が命中した。機関室で2発が爆発、船体は中央から折れ曲がり、船尾から沈み始めた。シムスは1942年6月24日に海軍籍から除籍された。
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