犀川一夫
犀川一夫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/03 17:12 UTC 版)
「ハンセン病に関連した人物」の記事における「犀川一夫」の解説
犀川一夫 (1918-2007): 1944年―60年国立療養所長島愛生園勤務。プロミンを使った最初の医師達の一人であった。隔離主義に関し、恩師光田健輔に反抗し、1960年―64年台湾麻瘋協会に勤務。1964年―70年WHO西太平洋地区らい専門官、1970―72年琉球政府らい専門官及沖縄愛楽園長。1972年―87年国立療養所沖縄愛楽園長。復帰に伴って患者の強制隔離を定めたらい予防法が適用されるのに反対し、沖縄だけは在宅治療を続けることを国に認めさせた。01年患者側が全面勝訴したハンセン病国賠訴訟で、元患者側の証人として出廷し、国の政策を批判する証言をした。2007年没。
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