特赦請願
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/03 01:05 UTC 版)
控訴審でも死刑とされた長男は、大審院へ上告して無実を訴えたが、同年7月8日に上告は棄却された。しかし、あくまでも長男の冤罪を確信していた大場は、司法大臣であった尾崎行雄へ直接に宛てて、長男の特赦を求める請願書を書き送った。大場は、長男の犯人性が否定される点として以下のものを挙げている。 第一に、長男は酒も女もやらず、小学校卒業後も独学して村の夜学で教鞭をとるほどの勉強家で、青年会の会長も務める模範青年である。女買いたさに親を殺すような凶悪犯とは人物像が一致しない。第二に、長男の自白では、犯行を決意したのは12月28日夕方に新潟市にある遊廓の前を友人とともに通りがかった時とされている。しかし、その日も長男は、18時頃から20時半頃まで村の夜学で指導していたことが確認されており、夕方に村から3里離れた新潟市にいたということはあり得ない。加えて、当局はその遊廓の人間にも、長男に同道したという友人にも何らの捜査も行っていない。さらに、事件現場は血塗れになっていたにもかかわらず、長男の犯行当時の着衣とされた衣服にも、その他家族のもとから押収された衣類の数々にも、川邨が行った鑑定では一切の人血反応が表れていない(屋根裏に隠されていた服の血痕も、ニワトリの血であることが明らかになった)。 その他長男の自白には、父が日課の米搗きに来ることを知りながら、その時間に納屋へ盗みに入っていること、大雪の日に六斗俵を担いで持ち出そうとしたことなどの不自然性が指摘されている。
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